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国道 106 号旧道【境鼻トンネル付近】

まさにそこは境の鼻。

2010/01/29 公開。

概要

岩手県の三陸地方の中核都市の一つである宮古市と内陸部の県庁所在地である盛岡とを結ぶ国道 106 号の旧道を訪ねるシリーズの第三弾である。これまでに以下の調査報告書を公開しているので合わせてご覧頂きたい。

  1. 国道 106 号旧道【川目トンネル付近】
  2. 国道 106 号旧道【落合トンネル付近】

国道 106 号そのものについての簡単な説明は、これら既出の報告書と重複するためここでは割愛させて頂くが、今回紹介する境鼻トンネル付近の旧道は同トンネルの開通時期が落合トンネルと重なるため両トンネル付近には二箇所同時に旧道が生まれることになったと考えられる。

後に示す地図をご覧頂くと一目瞭然であるが、この境鼻トンネルと落合トンネルは非常に近い距離に位置しており、両トンネル開通前においては並行して流れる簗川が強烈に蛇行を繰り返しているのにあわせ、同国道も川の形そのままに W の文字のように強烈に蛇行していたのである。

この辺りは地形的に簗川の周囲に平地が全くと言っていいほど存在せず山裾がそのまま川に落ち込んでおり、まさに難所とも言うべき場所である。そしてここからは勝手な推測であるが、川が激しく蛇行しその結果として山裾がそのまま川に飛び出している地形こそ『境鼻』という地名なのではないだろうか。

盛岡市内の字名を調査していないことに加え、オンライン地図や地形図で確認する限りそのような地名は現れてこないため、境鼻という言葉が地名として存在する、もしくは存在したのかは把握出来ていない。しかし、一般的に『鼻』という地名は岬のように飛び出している地形につけられていることから、この境鼻もトンネルが掘られた山そのものが簗川に飛び出した地形に由来する地名であっても不思議ではないと考えられる。どなたか情報をお持ちの方はコメントを頂けると幸いである。

もうひとつ地名だと推測する根拠として『境』の文字についての考察である。これも後に紹介する地図に示されているが、ちょうど今回取り上げる境鼻トンネルのある小さな山は郡界となっているのである。もう少し正確には簗川右岸(北側)では盛岡側が川目第ニ地割で宮古側が簗川第七地割の境界であり、左岸(南側)では川目第一地割と簗川第五地割の境界となっているのである。

すなわち、ここはちょうど『境』となっている『鼻』なのである。残念ながら現在この境鼻付近に集落等が存在しないように見受けられるため何かの建物やお店の住所から調べるということも不可能であるが、私には立派な地名としか思えない。

このような重要な地点に 1972 (昭和 47) 年にトンネルが穿たれ、結果として旧道が発生しているが、現在建設中のバイパスである簗川道路が完成した暁にはあわせて建設予定の簗川ダムによって水没する運命の場所でもある。なお、同ダムと国道 106 号については以下の調査報告書もご覧頂きたい。

その簗川ダムに関連して個人的に危惧しているのが本報告書執筆時(2010/01/27)においてすら、仮に境鼻という言葉が現役の地名であるとしても、実際その名はこの境鼻トンネルくらいにしか残っていないのが実状であると考えられるのに、さらに同トンネルが簗川ダムにより水没となればいよいよこの地名は歴史の彼方に消え去ってしまう恐れがあることである。これはまことに由々しき事態ではないだろうか。

戦後我が国では悪名高き住居表示や市町村合併により多くの歴史ある地名が事実上失われた。細かいことかも知れないが、簗川ダムによってさらにこのような自然(地形)にちなむ地名が消えるのならば、非常に残念である。行政に期待しても無駄だとは思うが一考をお願いしたい。地名は郵便物を届けるための目印としてのみが存在意義ではないはずであると私は考える。

ちなみに、私がかつて育った場所の地名は福岡県直方市大字植木字石山谷であり、細かい字名に誇りを持つ人間の一人である。

なお、本調査は遠征調査としての GNR - 第一次岩手計画及び GNR - 第二次岩手計画の調査対象である。

調査日:2006/10/21、2007/09/27

諸元

項目 内容
延長 94.1km
起点 岩手県宮古市(新川町 = 国道 45 号交点)
終点 岩手県盛岡市(市役所前交差点 = 国道 455 号起点)
道路指定 1953 (昭和 28) 年 5 月 18 日 二級国道 106 号宮古盛岡線
1965 (昭和 40) 年 4 月 1 日 一般国道 106 号

沿革

※主だったもの、若しくは把握できたもののみ。

年月日 事象
1758 鞭牛閉伊街道の難所改良工事に着手、鞭牛腹帯・蟇目・茂市村・熊の穴・川井村の各地の難所を開削
1762 鞭牛川井村川井の難所を開削、鞭牛道路開発を決意して 12 年経過を記念し山田に六角塔を建立
1765 現宮古市築地付近『七もどり』の難所を開削
1767 長年の道路開発の功労を認められ南部藩主から終身扶持を受ける
1782 鞭牛死去(73 歳)
1881 宮古街道開通
1936/09/25 府県道盛岡宮古港線に指定
1953/05/18 二級国道 106 号宮古盛岡線に指定
1965/03/29 一般国道 106 号に指定
1971/05/20 上天滝橋竣工
1971/10/20 天滝橋竣工
1972/02 落合トンネル、境鼻トンネル開通
1972/09 川目トンネル開通
1975 区界トンネル開通
1978 一般国道 106 号全線開通
1984 宮古バイパス開通
1999/12/16 達曽部道路開通
2012 簗川道路開通予定
2025 宮古西道路開通予定

地図

調査対象のオンライン地図である。例によって拡大縮小やドラッグも可能なので確認頂きたい。また、アイコンの上にマウスを重ねると簡単な説明も表示される。

ぜひ境鼻トンネル付近を拡大して頂き、上述の通り『境』というべき郡界の存在を確認して欲しい。

1/25,000 の地形図では、その郡界は示されていない。ただし、西隣りの落合トンネル付近と異なり境鼻トンネル付近の旧道は何故か未だに示されている。

国道 106 号旧道【境鼻トンネル付近】地形図

出展:国土地理院 地図閲覧サービス(試験公開) 1/25,000 地形図「大志田」 ※管理人一部加工

1971 (昭和 46) 年発行の旧版地形図では、トンネル開通前の国道 106 号が簗川の流れそのままに蛇行していた様が見て取れる。なお、『鼻』としてはここには記載していない落合トンネルとの間の山というか尾根のほうが規模が大きく、こちらも『○鼻』というような地名が存在する(した)のかも知れない。

国道 106 号旧道【境鼻トンネル付近】旧版地形図(昭和 46 年発行)

出展:国土地理院 1/25,000 地形図「大志田」(S46/08/30 発行) ※管理人一部加工

岩手と言えば『いわてデジタルマップ』である。ここでも『境』であることが南北に貫く郡界により確認出来る。このラインが消えることはないと思うが簗川ダムが完成するとこの境界は水面上に示されるのみとなり、そこに『境』の根拠とも言える山(尾根)があることが分からなくなってしまう。

国道 106 号旧道【境鼻トンネル付近】いわてデジタルマップ

出展:いわてデジタルマップ※管理人一部加工

以下のリンクより実際にオンラインで参照可能である。左側のメニューにある『主題』を『住宅地図(カラー)』に変更し、全レイヤを表示選択した上で、適宜拡大縮小して頂きたい。画面中央の赤い点が境鼻トンネル付近である。

1965 (昭和 40)年撮影の航空写真では、少々分かりづらいが、旧道の外側の大部分にまるで巨大なソーラーパネルを敷き詰めたような整地された場所がある。これは単に法面保護工かも知れないが詳細は不明である。

国道 106 号旧道【境鼻トンネル付近】航空写真(昭和 40 年撮影)

出展:国土地理院航空写真(地区:盛岡、作業名:MTO652、コース:C10、番号:23、撮影日:1965/06/12、形式:白黒)※管理人一部加工

同航空写真は以下のリンクより合わせてご覧頂きたい。

境鼻トンネル開通後の 1977 (昭和 52) 年度撮影の航空写真では、まだ旧道となって数年ということもあるためか旧道が明瞭に写っており通行にも支障がない雰囲気である。しかも、途中には何かしらの L 字型の建物まで存在している。

この建物が何であるかが全く掴めていないため、情報をお持ちの方はコメント等頂けると幸いである。

国道 106 号旧道【境鼻トンネル付近】航空写真(昭和 52 年撮影)

出展:国土交通省 国土画像情報(カラー写真) 整理番号「CTO-77-5」(S52 撮影)※管理人一部加工

なお、この画像も以下のリンクより確認可能であるのでぜひご覧頂きたい。ページ右肩の『400dpi』のリンクをお見逃しなく。

調査結果

盛岡方分岐付近

境鼻トンネル盛岡方坑門である。トンネルの手前にある右側に分岐しているのが旧道である。旧道であった証としては現道のガードレールが未だに旧道へ向かって緩やかにカーブしていることが挙げられよう。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】盛岡方分岐付近

旧道の分岐点付近を正面より望む。撮影は 9 月末であるが植物が生い茂り、まるで何かの工事現場への入り口のような雰囲気である。写真では分かりづらいが、緩いバリケードと共に左側には真っ赤に錆び付いた進入禁止の標識が残されている。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】盛岡方分岐付近

そのまま旧道を進むと、何故か微妙な幅のアスファルト舗装が残されている。そして正面には土砂が積んであり、車両の通行はこれ以上不可能となる。土砂の上まで登ろうとしたが諸般の事情により断念せざる得なかったため、この先がどの様になっているのかは未確認である。

先に紹介した謎の L 字型の建物は残っているのだろうか。個人的な予想では撤去されていると考えているが早速の宿題である。また、電柱が立ち電力線が横切っているがこれは旧道が現役時代からそうだったのかも知れない。

ちなみに、真正面の山の中腹の白くほぼ水平に写っているのは建設中のバイパスの簗川道路である。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】盛岡方分岐付近

宮古方分岐付近

今度は宮古方坑門前の旧道との分岐点に移動する。境鼻トンネルもこれまで紹介してきた川目トンネルや落合トンネル同様装飾性を一切排除した実用本位のコンクリート構造物である。坑門の前に何やら百葉箱のようなものが設置されている。これについては結局現地では確認しなかったが恐らくは融雪剤が収められているのではないだろうか。

旧道は現在のトンネルのすぐ手前の山裾を簗川とのわずかな隙間に縫うような線形であったことが分かる。先人の苦労が偲ばれる。

個人的には画面右端に写る街路灯(水銀灯)に懐かしさを感じる。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】宮古方分岐付近

境鼻トンネルの銘板である。最近知ったのだがここにある『東北地方建設局』は現在では『東北地方整備局』という名称になっているようである。旧国鉄の例もあるが、お役所の偉い方々の似て非なる組織名を考える能力には驚かされる。そんなヒマあったらもっと現場に(以下自粛)。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】宮古方分岐付近

旧道への分岐は盛岡方同様緩いバリケードが設置されている。また、並行する簗川の護岸も残されているが、コンクリート部分は何故か非常に短く、そのすぐ先では護岸が崩壊しており、岩ゴロゴロの大自然の脅威をまざまざと見せつけている。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】宮古方分岐付近

その崩壊した護岸部分を見る。手前のコンクリート部分はトンネル開通に伴って後年設置されたものと思われるが、その先は旧道の現役時代がどのような姿だったのか判然としない。結構な大きさの岩が護岸にめり込んでいるので、時々川が暴れているのだろうか。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】宮古方分岐付近

改めて旧道入口を見る。事実上使われなくなって 30 年以上が経過しており植物も立派に繁っている。かつての国道は既に何らかの作業道のような雰囲気となっている。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】宮古方分岐付近

旧道へ入ってすぐに錆び付いた進入禁止の標識が現れる。盛岡方と同時に設置されたと考えられるが、こちらのほうが日中直射日光を浴びていないせいか劣化の程度は小さいようである。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】

この進入禁止の標識については初回(2006/10/21)訪問時にアップで撮影したものである。標識の下には何やら注意書きのようなものがあり、『立入禁止』と読み取れるがそれ以外の文字は時間が無かったこともありメモし忘れたため、不明である。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】

この標識地点より旧道を望む。こう見ると日頃何らかの車両の通行があるのか未舗装の砂利道ではあるものの、旧道となってからの年月をあまり感じさせない。むしろ快適なダートである。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】

実はこの場所は初回訪問時はこれ以上進むことができなかった。というのも現在建設中の簗川道路に架かる 9 号橋の建設資材置場となっていたからである。

そこには JV によりゲートが設置され、我々部外者の進入を禁止していた。訪れた際中に関係者がいたので許可を頂くことはできたかも知れないが、時間の制約上ここまでで引き返したのである。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】

ゲートに書かれた表札には『簗川 9 号橋 資材置場』と書かれていた。ちなみに、この 9 号橋は前述の盛岡方の旧道から見えた橋ではない。実際の位置は本報告書冒頭のオンライン地図のにプロットしているので確認して頂きたい。また、9 号橋に簡単な説明についても三井住友建設のサイトに紹介されている PDF ファイルを Google Docs を介してブラウザのみで閲覧可能としたのでご覧頂きたい。

実際少々離れた場所にある。恐らくは実際に橋が架けられる地点は岩手県道 43 号盛岡大迫東和線という狭小な道の上空にあり、周囲に資材置場が確保できなかったためであろう。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】

現在は既に 9 号橋の橋体完成に伴い、この資材置場は撤去されているため心置きなく旧道を観察出来る。そのまま旧道を進み、恐らくは境鼻と呼ばれる尾根の先端を迂回する付近を見る。周囲は資材置場の名後りか整地された空き地が広がっている。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】

今進んできた方向を振り返る。一部分のみアスファルト舗装が残されているが、これが現役当時からのものなのかは不明である。また、手前の広がりも冒頭の航空写真で明らかなようにかつてはこのような規模では無かったはずである。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】

さらに進むと、ちょうど尾根の先端付近には盛岡方同様土砂の山が現れる。誠に不本意であるが時間の制約上これ以上進むことは叶わなかった。これらの土砂は資材置場として整備された際に発生したものだろう。そして、そのまま一般車向けのバリケードの役目も担うことになったものと考えられる。

結局のところあの L 字型の建物があったと思われる地点まで進むことが出来なかったが、物理的にはさしたる困難を伴わないと思われる。

国道 106 号線旧道【境鼻トンネル付近】

総評

例によって非常に消化不良の内容ではあるが、一時期資材置場として整備されたこともあり、探索が非常に容易な旧道区間である。逆に言えば現役当時の風情はかなり失われてしまっているかも知れないが、かつてここが国道 106 号だったと思うと感慨深い。

冒頭に述べた通り、この辺りは簗川ダムの完成に伴い水没する予定であり、このまま消化不良のままでは終われないため、何とか再訪したいと考えている。そしてあの建物の痕跡を見届けたい。

また勝手な印象でしかないが、行政としてはどうせ水没するのだからという考えなのか護岸の崩壊も放置プレーのままであり、最早維持補修にあまり費用をかけないようにしているようにも感じられる。護岸の崩壊の原因が仮に簗川の増水だとしたら、現道も簗川との比高差はほとんどないため、あまり放置するのもどうかとは思うが、微妙に旧道区間にあるため管轄外なのだろうか。

この辺りに最初に道が拓けた年代は把握できていないが、境鼻トンネル開通までの長きにわたり貢献した道路である。個人では大したことはできないことは承知であるが少しでも記録として残していきたい。

参考文献等


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