上落合橋と落合トンネルと下落合橋。
2009/12/30 公開。
国道 106 号旧道【川目トンネル付近】に続く第二弾である。同国道の起点は宮古であり終点が盛岡であるが、当サイトでは特に深い理由もないが盛岡側から旧道を紹介している。その第二弾である。
同国道は三陸沿岸の中核都市宮古と内陸の県庁所在地である盛岡とを結ぶ岩手県内でも有数の幹線道路である。しかし北上山地の険しい地形を川沿いに進むため、そこには多くの旧道区間が存在する。それは並行する簗川の激しい蛇行との闘いの歴史とも言えよう。今回取り上げる落合トンネル付近の旧道区間は同国道を盛岡から宮古へ進むと二番目に現れる同トンネルの開通によって生じたものである。
もう少し細かく言うと落合トンネルの前後で簗川と交差するため新たに二箇所の橋が設けられ、これら三つの構造物を含む区間が新道として付け替えられたのである。それぞれの橋の名称は盛岡方が『上落合橋』、宮古方が『下落合橋』である。と言いたいところだが宮古方の橋については現地にて正式名称等の確認をし忘れてしまったため、推測であることをご了承願いたい。正式名称をご存じの方はコメント等でお知らせ頂けると幸いである。
なお、トンネル及び前後の橋の名称に含まれている『落合』という地名であるが、これは他でもなく複数の川の合流点が付近にあることが由来である。そしてその川とは国道 106 号と並行する簗川と岩手県道 43 号盛岡大迫東和線と並行する根田茂川であり、合流点にはこれまた『落合橋』とそのまんまの名前を冠した橋が県道に架けられ国道と合流している。この落合橋や今回取り上げている落合トンネルは近い将来簗川ダムによって水没する運命となっており、その落合橋については以下の調査報告書を公開しているのであわせてご覧頂きたい。
本報告書で取り上げる国道 106 号の旧道区間を生きっかけとなった落合トンネルも 1972 (昭和 47) 年 2 月の開通であり、比較的近年に開削されたトンネルであるが落合橋同様簗川ダムの完成に伴い水没する予定である。国道 106 号は詳細に把握出来ていないが昭和 40 年代に大改修が完了し、現在の姿になったようである。
同ダムの詳細については巻末の公式サイトを参照願いたいが、ニュースによると政権交代により情勢は変化しているようである。個人的には思いっきり素人発想だが簗川ダムは建設されないことを望んでいる。
国道 106 号の水没する区間については現在代替道路として地域高規格道路『簗川道路』が建設中である。下に掲載しているオンライン地図にも参考として追記しているが、これまでの同国道の歴史を大きく塗り替えるまさに高速道路に生まれ変わろうとしている。簗川道路開通後にも改めてこの地を訪れてみたいとは思うが、水没前にじっくりと見ておきたい思いもある。とにもかくにも大きく変化し続ける国道であるが『水没』はほぼ永遠に現地調査が不可能となるためもっと現地を訪れたいところである。
なお、本調査は遠征調査としての GNR - 第二次岩手計画の調査対象である。
調査日:2007/09/27
項目 | 内容 |
---|---|
延長 | 94.1km |
起点 | 岩手県宮古市(新川町 = 国道 45 号交点) |
終点 | 岩手県盛岡市(市役所前交差点 = 国道 455 号起点) |
道路指定 | 1953 (昭和 28) 年 5 月 18 日 二級国道 106 号宮古盛岡線 1965 (昭和 40) 年 4 月 1 日 一般国道 106 号 |
※主だったもの、若しくは把握できたもののみ。
年月日 | 事象 |
---|---|
1758 | 鞭牛閉伊街道の難所改良工事に着手、鞭牛腹帯・蟇目・茂市村・熊の穴・川井村の各地の難所を開削 |
1762 | 鞭牛川井村川井の難所を開削、鞭牛道路開発を決意して 12 年経過を記念し山田に六角塔を建立 |
1765 | 現宮古市築地付近『七もどり』の難所を開削 |
1767 | 長年の道路開発の功労を認められ南部藩主から終身扶持を受ける |
1782 | 鞭牛死去(73 歳) |
1881 | 宮古街道開通 |
1936/09/25 | 府県道盛岡宮古港線に指定 |
1953/05/18 | 二級国道 106 号宮古盛岡線に指定 |
1965/03/29 | 一般国道 106 号に指定 |
1972/02 | 落合トンネル開通 |
1972/09 | 川目トンネル開通 |
1975 | 区界トンネル開通 |
1978 | 一般国道 106 号全線開通 |
1984 | 宮古バイパス開通 |
1999/12/16 | 達曽部道路開通 |
2012 | 簗川道路開通予定 |
2025 | 宮古西道路開通予定 |
調査対象のオンライン地図である。例によって拡大縮小やドラッグも可能なので確認頂きたい。また、吹き出しをクリックすると簡単な説明も表示される。
今回の調査対象は冒頭で紹介した川目トンネル付近の旧道同様簗川が大きく蛇行する箇所にせり出した山裾に沿って通じていたかつての国道 106 号の旧道である。なお、以下の地図には現在建設中の『簗川道路』も示しているのでその高規格っぷりを線形から感じて欲しい。
地形図では、今回取り上げる旧道は既に描かれていない。しかし隣の境鼻トンネル付近には旧道が描かれており、両者とも既に一般車両は通行できない点では共通だが地図上の表記に何故かこのように差がある。もちろん、境鼻トンネル付近についても別途報告書を公開する予定である。
また、簗川道路が現在の国道 106 号とは異なりもはや何となく簗川沿いというだけで、トンネルと橋梁によるほぼ直線ブチ抜きの高規格道路であることがお分かり頂けると思う。
出展:国土地理院 地図閲覧サービス(試験公開) 1/25,000 地形図「大志田」 ※管理人一部加工
1971 (昭和 46) 年発行の旧版地形図では、落合トンネル開通前の様子を知ることができる。まさに簗川のすぐ脇を蛇行の加減もそのままに国道が山裾を進んでいる。また、地図上では道路がやたら太く描かれているが実際には当然現在よりもはるかに狭い幅員だったはずで大型車の通行には難儀したことだろう。
出展:国土地理院 1/25,000 地形図「大志田」(S46/08/30 発行) ※管理人一部加工
『いわてデジタルマップ』では、見事に旧道が描かれている。画像が小さくて申し訳ないが雰囲気は読み取れると思う。またここまで詳細な地図になると 1/25,000 の旧版地形図とは異なり、簗川と国道との寄り添い具合いもつぶさに把握出来る。
出展:いわてデジタルマップ※管理人一部加工
以下のリンクより実際にオンラインで参照可能である。左側のメニューにある『主題』を『住宅地図(カラー)』に変更し、全レイヤを表示選択した上で、適宜拡大縮小して頂きたい。画面中央の赤い点が落合トンネル付近である。
1965 (昭和 40)年撮影の航空写真では、当然落合トンネルは影も形もなくかつての国道の様子がよく分かる。白黒写真でここまで道路が白く写っているのは未舗装である証かも知れない。
ひとつ気になるのが現在の落合トンネルの宮古方出口の少し北側の道路沿いに建物らしきものが見えることである。自動車にしては大きすぎるし樹木等にしては道路に重なりすぎに思えるが、詳細は不明である。どなたか情報をお持ちではないだろうか。
出展:国土地理院航空写真(地区:盛岡、作業名:MTO652、コース:C10、番号:23、撮影日:1965/06/12、形式:白黒)※管理人一部加工
同航空写真は以下のリンクより合わせてご覧頂きたい。
落合トンネル開通後の 1977 (昭和 52) 年度撮影の航空写真では、付け替え後数年しか経ていないこともありまだ通行出来そうな雰囲気である。そして先程の謎の『建物』もまだ健在のようである。
またこの航空写真では旧道と現道との位置関係を把握することが出来る。宮古方の合流点は単純に合流しており、新旧の道路のレベル差が大きくないことが分かるが、対する盛岡方の合流点は立体交差になっている。つまり、旧道が落合トンネルの手前で現道の下に潜り込んでいるのである。その潜り込んでいる地点に架けられた橋こそ上落合橋である。
そして、現道よりもさらに簗川に近づいたぎりぎりの所を旧道は盛岡方面に進み、滑らかに現道と合流している。どうやらこの実際に合流している付近の現道は落合トンネルに向けて嵩上げされているのである。実はこの合流の様子は冒頭でも紹介した落合橋の報告書内で推測していたのだが、それを裏付ける写真が見つかったことになる。
毎度のことだが、この事実は帰宅後の机上調査で把握したため現地ではこの合流地点の調査は不充分のままである。弱い。
出展:国土交通省 国土画像情報(カラー写真) 整理番号「CKO-77-5」(S52 撮影)※管理人一部加工
なお、この画像も以下のリンクより確認可能であるのでぜひご覧頂きたい。
実際の現地調査の時系列にあわせて落合トンネル宮古方出口付近より紹介していきたい。旧道の分岐点は落合トンネルのすぐ手前に架かる下落合橋よりも少しだけ宮古寄りの地点である。つまり、現道と異なり簗川を渡らずに右岸に沿っているのである。
なお、画面右側に山を駆け上がる急坂が見えるがこれは国道 106 号の旧道ではなく簗川ダムの工事用道路である。
旧道との分岐点を望む。中央に見える立て看板はこの道路が簗川ダムの工事用道路であることを示すものである。恐らくはこの工事の関係で舗装されているようである。奥に見えるガードレールは簗川に架かる工事用の仮設の橋であり、旧道は画面奥に向かって直進である。
写真では分かりづらいかも知れないが、現道から画面奥の旧道へは結構な高度差がある。
落合トンネルの手前に架かる下落合橋からみた工事用の仮設道路である。下を流れているのが簗川であり、護岸が整備されているのは恐らく現在の国道の整備に伴って施工されたものか、工事用の仮設道路整備に伴ったものと思われるがどちらかは定かではない。比較的新しいタイプに見えるため後者かも知れない。
仮設道路が簗川を渡る部分と国道 106 号旧道との分岐点である。旧道はもちろん直進であるが、仮設道路との高低差がここでも結構あることが分かる。
またバリケードがあったり、植物の茂り具合いからして実際に簗川ダムの工事車両はあまり頻繁にはここを通っていないのかも知れない。
仮設道路のレベルより見下ろした旧道である。青いシートに包まれた何かの基礎のようなものが散見されるが、何か建物でも建っていたのかも知れないが現地では手がかりを得ることができなかった。
旧道に降り立つ。この現地調査の時点で落合トンネル開通より 35 年が経過している。往々にして旧道は植物の繁茂により当時の幅員が判別しにくくなるが、ここの場合は崖と川に挟まれているため地形的に変化していないとすると当時の幅員そのままが目の前に見えているはずである。
これが宮古と盛岡とを結ぶ幹線中の幹線である国道 106 号のかつての姿なのである。そう思うとこの眺めは非常に感慨深い。
この旧道を先程の仮設用の橋から眺めると簗川の護岸に間知石を見ることができる。やはり上の写真で見た幅員がまさに現役当時の幅員である。そしてここを最初に自動車が通った頃とそんなに変わらない風景なのではないだろうか。
ここで現道の方を振り返るとそこには旧道とは逆に未来の国道 106 号の姿が片鱗を見せている。中央にそびえるのは冒頭でも紹介した簗川道路の 10 号橋と呼ばれる橋梁の橋脚である。その手前に見えるのが下落合橋であるが、この辺りは簗川ダムが完成すると旧道や落合トンネルもろとも水没することになる。
この写真は 2007/09/27 に撮影しているので本報告書執筆現在(2009/12/30)では橋桁が姿を現しているかも知れない。と思って簗川ダム建設事務所のサイトで確認したところすっかり桁はつながっているようである。参考に同事務所発行の工事進捗資料をあわせて紹介しておきたい。
簗川ダム付替道路工事進捗状況(2009 年 12 月) - .docstoc
そして、本来ならばここから旧道調査の本番と言えるが、見た目以上のぬかるみであり長靴を用意していなかったためここで断念となった。ただ、実際に歩くのであればもう少し植物の少ない初冬を狙うべきであろう。また宿題が増えてしまった。弱い。
ここで落合トンネルまで引き返し盛岡方出口を目指すこととした。ちなみに、同トンネルのコンクリート巻厚は以下の通りである。
盛岡方の旧道の分岐の様子は冒頭で紹介したカラクリを把握していないと現道からは確認しにくい。実際私も現地においては画面左側にあるコンクリート吹付けとガードレールとの隙間が旧道へのラインと勘違いしたのである。
上落合橋である。正直このあたりの国道 106 号は歩道もなくトラックが多いこともあり徒歩での通行には注意を要する。まぁ、こんな場所を歩く人はほとんどいないのだろう。
上落合橋の銘板である。どことなく気合の感じられる明朝体である。なお、『落』のくさかんむりに一捻り加わっていることに注意されたい。
反対側には『簗川』と書かれた銘板が取り付けられている。この時はどういう訳か他の箇所の銘板を確認し忘れたため、竣工年等の情報を得られていない。そもそも宮古方の下落合橋に至っては銘板を全く確認していないという大失態ぶりを発揮しているが。
振り返って落合トンネルの銘板である。1972 (昭和 47) 年 2 月竣工、延長 191m である。なお、川目トンネル同様『落合トソネル』に見えるが気のせいである。また、ここでも『落』の字のくさかんむりは上落合橋と統一されている。
上落合橋から北側を見た旧道である。画面右側に流れる簗川と平行に平地が続いていることが確認できる。そして写真では分かりづらいが、こちらもかなりのぬかるみのようである。
旧道はちょうど撮影地点の真下をくぐり南側に上落合橋を抜けるのである。
その南側の様子を同じく上落合橋から望む。狭い幅員で簗川に沿うようにほぼ直角と言える急カーブで現道と平行になるのである。ここを自動車が往来したのである。
そして、残念ながら今回の調査はここまでとなった。旧道の位置関係だけは現地調査当初の予想と異なる実際の様子が何とか把握できたのでリベンジせねばならない。
落合という地名は全国に数多く存在すると思うが、今回取り上げた落合トンネル付近は民家が存在しないため、自然豊かである反面、道路からして見れば険しい地形であり現在の姿になるまでは苦難の連続であっただろう。
宮古方分岐付近に残る石垣も構築以来ずっと簗川に洗われ続けてきたはずだが、一見大きく崩壊している箇所はなさそうである。先人の技術の確かさの証左であろう。ただいつ頃の施工なのか等詳細が不明である。盛岡市史等を紐解けば国道 106 号の改修の歴史は明らかになるかも知れないため、追って机上調査を続けていきたい。
また、簗川ダムが完成してしまうと水没してしまう区間であるため現地再訪もあまりのんびりしていると叶わない夢と化してしまう。ただ、東京からは遠い。何度か訪れているからこそ、その距離感が分かるのである。実際は遠いという距離感よりも新幹線代という費用面で『遠い』というのが正直なところである。しかし私にとってはそうまでして訪れる価値のある場所であるので何とか植物の少ない季節に再訪し、先人の苦労の痕跡をこの目に焼き付けておきたい。