またひとつ『落合』が消えるのか。
2009/08/23 旧版地形図を追加しました。
2009/07/30 公開。
『落合』という地名は一般に川と川が出会う場所に付けられたものだそうである。言いえて妙である。山がちな我が国においてはそのような場所は全国に数多く存在する。今回取り上げる岩手県道 43 号盛岡大迫東和線の『落合橋』もその名の通り、盛岡から宮古へ向かう国道 106 号に沿って流れる簗川と根田茂川が出会う場所にある。
このあたりの地名としては地図で見ると、『第一地割』というまるで開拓地のような表記がなされているが、今回取り上げる橋の名前は地形の通りに『落合橋』である。ちなみに、この地点は川だけでなく道路も国道 106 号に同県道が接続(合流)している。
この落合橋が架かっている場所のすぐ近くの国道 106 号上に簗川ダムが建設される予定となっており、同橋もこのまま予定通り事が進めば国道 106 号及びこの県道の一部区間と共に水没する運命となっている。そもそも『落合』と呼ばれる地形は複数の河川が合流し効率よく貯水が可能なダムに適した地形でもある。本報告書はその消えゆく運命にある橋とその周辺の風景の記録と思って頂きたい(消えて欲しくはないが)。
国道 106 号のダム建設予定地付近については以下の調査報告書をご覧頂きたい。
今回の現地調査ではこの県道自体の走破は実施しておらず、あくまでも水没予定の『落合橋』のみを対象としていることをご了承頂きたい。できれば水没前に現状の全線を走破したい。東京からはなかなか遠いが。。。走破した記録については岩手の県道と言えば忘れてはならないサイトにて紹介されているので巻末の参考文献にリンクを掲載した。
なお、本調査は遠征調査としての GNR - 第一次岩手計画 の調査対象 No.2、及び GNR - 第二次岩手計画の調査対象 No.153 である。
調査日:2006/10/21、2007/09/27
岩手県道 43 号盛岡大迫東和線諸元
項目 | 内容 |
---|---|
延長 | 50.9km |
起点 | 盛岡市川目第 1 地割(国道 106 号交点) |
終点 | 花巻市東和町安俵 6 区(国道 283 号・県道 39 号交点) |
道路指定 | 1953 (昭和 28) 年 5 月 18 日 主要地方道盛岡大迫東和線 1994 (平成 4) 年 3 月 15 日 岩手県道 43 号盛岡大迫東和線 |
落合橋諸元
項目 | 内容 |
---|---|
竣工 | 1972(昭和 47)年 1 月 |
路線名称 | 岩手県道 43 号盛岡大迫東和線 |
構造形式 | 鉄筋コンクリートアーチ橋 |
材料 | 橋脚部:なし 橋台部:コンクリート 桁部:プレートガーダー x 1 スパン 床版:コンクリート |
全長 | 未確認 |
幅員 | 未確認 |
高さ | 未確認 |
調査対象付近の道路地図である。今回の調査対象である落合橋と共に簗川ダム建設予定地もあわせて示した。吹き出しをクリックすると簡単な説明が表示されるので確認頂きたい。
落合橋は上で示した諸元の通り、岩手県道 43 号盛岡大迫東和線の起点にあたる国道 106 号の交点に位置し、同国道の南側に平行する簗川に架かる橋である。
地形図も示しておきたい。
出展:国土地理院 地図閲覧サービス(試験公開) 1/25,000 地形図「大志田」 ※管理人一部加工
また、GNR - 国道 106 号【簗川ダム建設予定地】でも紹介したが、岩手県が公開している『いわてデジタルマップ』の簗川ダム建設予定地付近について以下のリンク先よりご覧いただきたい。なお、表示後左のメニューより『主題』を『住宅地図』に変更し、表示レイヤを全て有効にしたうえで縮尺を 1/2,500 とすると橋梁名等詳細が表示されるため確認頂きたい。
全景を南側より望む。この落合橋は同県道の起点でもある。すなわち画面奥の左右に走る道路が国道 106 号であり、右側が宮古側である。ここで見ている風景や撮影地点そのものも簗川ダムの完成に伴い水没する予定である。
各親柱を見る。南東側には『おちあいはし』とある。『おちあいばし』ではないことを初めて知った。
南西側には『昭和四七・一・竣工』とあり、どうでもいいことではあるが実は私と一歳違いであることが分かる。また、南側のこれら二つの親柱の形状については宮古市内や川井村内ではよく見かける非常にポピュラーなものである。
北東側には『簗川』とあり、この橋の架かっている河川名称が記されている。そして、まさに『簗川ダム』に沈むのである。
最後の北西側には『落合橋』と記されている。紹介の順番で最後となったが、国道 106 号からは北側の二つが初めに目にする親柱であるため、まず橋の名前と川の名前を目にすることになる。
桁構造は全くシンプルにプレートガーダー(鉄道橋のノリでこう表現するがこれでいいのだろうか)をもって 1 スパンで簗川をひと跨ぎにしている。奥に見える橋台は北側すなわち国道 106 号との合流地点であるが、やけにコンクリートが白く汚れていない印象を受ける。恐らくは左右の擁壁部と異なり垂直であるため、汚れ具合が異なるだけとは思うが、まるで後年の改修を受けたようにも見えてしまう。
くどいようだが桁内部を望む。かつて 10 年以上の昔とある高速道路の床版へのカーボン繊維補強の試験施工の関係でこのような風景を見たのを思い出す。あの時は地面から 20m くらいはあったと思うが、それに比べればなんと安心感のある眺めだろう。
南側の桁支承部である。こちらはシンプルな平面支承と言えると思うが、水平方向の伸縮には追随するのだろうか。それとも北側で対応しているのだろうか。
落合橋にて合流する国道 106 号より南を望むと簗川ダムに関連して建設中の『簗川道路』(国道 106 号の水没区間付替道路)を構成する『付替国道 9 号橋』が視界に入ってくる。手前の道路が現在の国道 106 号であり、右側のコンクリート吹き付けの続く部分が今回取り上げている県道である。
なお、 9 号橋の構造形式については岩手県の簗川ダムホームページ内に詳細な資料が PDF でダウンロード可能なので興味のある方は以下のリンクより参照して頂きたい。
9 号橋をもう少しアップして見る。構造形式としてはエクストラドーズド PC 橋となる。そして、この辺りの字名は冒頭で述べたように『第一地割』ではなく『宇曽沢』である。
最後に消えゆく風景として落合橋より先の同県道の風景を紹介したい。撮影時期は 10 月下旬であるため、木々も本格的ではないかも知れないにしても、紅葉の季節であり美しい。道の曲がり具合も歴史を物語る貴重な生き証人と言えよう。つくづく水没が残念に思える。
現在の落合橋は 1972 (昭和 47) 年竣工である。つまり、これ以前の橋があったとしてもおかしくはない。1965 (昭和 40) 年撮影の航空写真で確認すると現在とは異なる角度で橋が架けられていることが分かる。冒頭で挙げた地図と比較して欲しい。また、以下のリンクからも確認願いたい。
出展:国土地理院航空写真(市区町村名:盛岡、撮影地域:外山、写真名:MTO652-C10-23、撮影日:1965/06/12、形式:モノクロ)※管理人一部加工
さらに旧版地形図で確認すると旧落合橋が現在とは異なる位置に架けられていたことが裏付けされる。ただ、上の航空写真よりはなめらかな角度で県道から橋へと続いているように見える。
出展:国土地理院 1/25,000 地形図「大志田」(S46/08/30 発行) ※管理人一部加工
改めて現在の落合橋を南側から俯瞰すると比較的自然なラインで国道へ合流しているが、かつては線形はお構いなしと言わんばかりに川に面した地点で突如として向きを変え、川に直角に橋が架かっていたのである。もちろんこれは橋長を少しでも短くするためであろう。
そして、実は上の写真にも分かりにくいながらも写り込んでいるが、その旧落合橋の架橋位置を示す名残りである橋脚跡が川の中に残っているのである。現落合橋上から望むとこのようにして見ることができる。川に対して直角に架かっていたことがよく分かる。
少し角度を変えると、画面右奥から流れてくる根田茂川に対して簗川が合流してくる様子も望むことができる。
さらに角度を帰ると川に対する角度を優先し、県道の線形を犠牲にした様子がさらにお分かり頂けると思う。
識者の方々のために橋脚跡のアップも紹介したい。何かここから情報を得られる、若しくはお持ちの方はご一報頂けると幸いである。
残念ながら私は旧落合橋についての情報を全くもち合わせていないため、かつての状況についてこれらの写真と現在の国道 106 号のこの付近の線形から個人的には以下のような推測を行っている。これは現地でというよりは帰宅してから写真を眺めながら、である。
1. については実際に現地で河原まで降りて確認したが発見することはできなかった。しかし、竣工年が不明ではあるものの、わざわざ道路の線形を犠牲にしてまで川に対して直角に橋を架ける時代の橋であったことと、写真でも分かる通り川の中に残された橋脚跡は明らかに国道側に偏っているように見え、もう一基橋脚がないと片方の径間はかなりのスパン長になってしまうことからがその理由である。
2. 3. についても写真で見る限り画面左側に写る現在の国道の路面位置は川の水面からかなりの高低差があり、これも旧落合橋では橋脚跡の大きさから想像するに、あまりにも高すぎてアンバランスに思える。さらに、以下の点もその理由にとして成り立つのではないかと個人的には捉えている。
さらには個人的には裏付けのように見えてしまうが、その嵩上げされたと思われる国道部分の川面に近い部分を見てみると写真では分かりにくいが古い石垣が見えるのである。
その石垣を拡大して見ると、間知石と玉石の二層になった独特の構造が垣間見える。個人的な想像としては、ただ単に川の護岸ではなくそのすぐ上に道路があったとしても違和感がない。
現在の落合橋、国道 106 号の上落合橋及び落合トンネルの位置関係を冒頭でも紹介した『いわてデジタルマップ』を用いて改めて示すと以下のようになる。
出展:いわてデジタルマップ ※管理人一部加工
ここで示した国道 106 号旧道も実は GNR - 第二次岩手計画 として現地調査を行ったが、時間の関係でほんのさわりだけとなってしまったため、上述の推測の裏付けとはなっていない。とは言え、今後のこの旧道についてもさらなる調査を進め別途報告書として紹介したい。嵩上げの歴史のしっぽを掴めるかも知れない。
今回取り上げた落合橋周辺の岩手県道 43 号盛岡大迫東和線は地図で見る通り、根田茂川の流れそのものの線形であり歴史のある道だと思われる。そのため落合橋そのものも現在の橋に架け代わる前の橋も歴史的な橋だったのではないだろうか。
地形図で見ても同県道沿いには落合橋から辿ってみると、いわゆる『石碑』記号が散見される。道標の類か道祖神なのかは分からないが『道』に関するものも含まれていると考えられる。ひょっとすると、岩手県沿岸部と内陸部との交通路の開削に生涯を支えた牧庵鞭牛に関するものかも知れない。
今回の調査では基本となる文献調査を行えていないため、この旧落合橋に関する情報が全くないのが落ち度だと考えている。今後も机上調査は継続していきたい。そしてできれば水没前に再訪し過去の縁(よすが)をこの目に焼き付けたい。
このようなひょっとすると誰も気にも留めないようなささやかな橋にこそ、深い歴史と初めに架けられた時の地元や関係者の大きな喜びがあったのではないかと思う。当時はこの橋の開通による恩恵はすっかり静かに見える現在の様子からは想像できないほどの計り知れないものだったのではないだろうか。
土木技術が大きく進歩した今日とは異なる思いの詰まっていると思われるこのような小さな構造物にこそ、これからも目を向けていきたい。