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鉄道構造物 JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【余部橋梁】 第二巻

まさに天を駆ける汽車である。

2007/04/15 公開。

調査結果

第一巻より続く。

餘部駅

長い前置きの末ついに余部橋梁への到着である。まず、香住方面から最寄り駅である餘部を目指す際に最後尾にいるとこのような眺めを見ることとなる。一見何の変哲もない景色かも知れないが既にそこは地上 41m の天空を駆けているのである。

また、トンネル(隧道)が写っているがこれも竣工当時のままの姿を残すレンガ造りのもので大変貴重である。なお、この余部橋梁周辺にはいくつものレンガ造りの隧道が現存しており調査対象が豊富である。

鉄道構造物 JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【余部橋梁】 第二巻餘部橋梁

そして橋梁上からの日本海の眺めも素晴らしい。眼下の道路は国道 178 号であり余部橋梁の真下をくぐり抜けている。

鉄道構造物 JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【余部橋梁】 第二巻餘部橋梁

橋梁を渡り終えた場所が餘部駅である。普段は状況客の少ない静かな駅であるが観光客により状況が一変している。

鉄道構造物 JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【余部橋梁】 第二巻餘部駅

鉄道構造物 JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【余部橋梁】 第二巻餘部駅

さらには本来無人駅にも関わらず JR 職員も常駐し記念カード等の販売が行われていた。また記念スタンプもあったため、さっそく頂いた。日付印まである粋な計らいであった。

鉄道構造物 JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【余部橋梁】 第二巻餘部駅スタンプ

また、これは一般の人には何のことだが分らないと思われるが構造物には基本的には出自を示す『銘板』と呼ばれるプレートが取り付けられており、それを模したスタンプまであった。これはマニアックだと思う。

なお、JR 職員の話では本物の銘板は保存のため工事に先立ち既に取り外されているとのこと。この銘板には米国アメリカンブリッジ社による 1910 年製であることが刻印されている。これは恐らく橋脚部のどこかに設置されていたのだろう。さらに職員氏曰く本物と若干デザインが異なるとのこと。おいちゃんもマニアだね !

鉄道構造物 JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【余部橋梁】 第二巻餘部駅スタンプ

また、餘部駅から下りた民家にも記念スタンプが設置されておりやはり記念に頂いた。裏紙使用のため何やら字が透けているが気にされないよう。

鉄道構造物 JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【余部橋梁】 第二巻餘部駅スタンプ

このスタンプが設置されている民家には新旧橋梁のデザイン比較も紹介されていた。新橋梁は記事によるとエクストラドーズド橋によるすっきりとしたものになるようである。二段目左右の写真が新橋梁予想図である。

鉄道構造物 JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【余部橋梁】 第二巻餘部橋梁新橋梁予想図

では、ようやく余部橋梁の姿をご紹介したい。まず、前後してしまうが餘部駅ホームに降り立って最初にみるのがこの眺めである。現地には左手に見える日本海との高低差に圧倒される。

鉄道構造物 JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【余部橋梁】 第二巻餘部橋梁その 3

また、右手の金網のそばには何というか豪快な余部橋梁の標柱が設置されておりその大きさには驚かされる。さらに、橋梁に関する諸元やエピソードが掲載されていたが写真を撮り損なった。そして余部橋梁を余部橋梁たらしめるトレッスル橋脚が片鱗を覗かせている。

鉄道構造物 JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【余部橋梁】 第二巻餘部橋梁

実はこの餘部駅は昭和 34 年開業の比較的新しい駅である。それまで余部の人たちは雨の日も雪の日もこの鉄橋を歩いて渡りいくつかのトンネルをこれまた歩いて渡り前述の鎧駅で初めて汽車に乗れたのである。

それが地元の小学生の新聞への投書がきっかけとなりめでたくこの駅が設置されたのである。駅にはそれを記念する壁画もあるので是非現地にてご覧頂きたい。

最終巻へ続く


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