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古レール JR 東日本山手線【原宿駅】

通称としての山手線内で希少な臨時ホームのある駅の古レール。

2010/10/07 公開。

概要

原宿駅と言えば何はともあれ都内最古の木造駅舎である(当報告書執筆時点)ことを忘れてはならないだろう。その現存する駅舎の竣工は Wikipedia によると 1925 (大正 14) 年となっているが、現地で駅本屋自体に掲げられた建物財産標には 1924 (大正 13) 年との記載がある。どちらが本当の竣工年なのだろうか。

ところで、数年前まで都内で二番目に最古の木造駅舎に中央本線の国立駅があった。しかし、現在進められている中央本線の高架化工事に伴いその歴史ある駅舎は解体されたため、現在の二位はどの駅だろうか。なお、国立駅舎については保存運動も展開されたようなので、解体されたもののそれは移築を前提としたものと推測しているが最新の情報は把握出来ていない。

話を原宿駅に戻すと、同駅の開業は 1906 (明治 39) 年 10 月 30 日であり、既に 100 年以上の歴史を誇り、『関東の駅百選』にも選ばれている。ちなみに現存する駅舎は二代目である。

当駅は明治神宮の最寄り駅であるため、正月などは大変な人混みとなる。そのため、正月限定で供用される臨時ホームが存在する。一般的な通称の環状線としての山手線内で臨時ホームがある駅はいい加減な記憶では以下の駅のみであり、希少な存在ではないだろうか。

また、当駅の構造的な特徴として線路がちょっとして堀割区間に位置するため、ホーム跨線橋で堀割をクリアしてそこからほぼ直角に曲がって法肩を長い通路で進んだ先にやっと駅舎があるため、駅自体の規模は小さいものの駅本屋内の改札口からホームまでは意外に距離がある。地形的な理由かも知れないが、少々不思議な跨線橋の配置である。

古レールについてはホーム上屋と跨線橋というお約束アイテムの他に件の臨時ホームの下部構造に使用されている。

調査日:2009/12/30、2009/01/17

調査結果

架構

原宿駅における全ての古レール使用箇所を俯瞰する。渋谷方より代々木方面を望む。中央のホーム上屋、画面右奥の跨線橋及び画面左端の臨時ホームの下部構造に古レールが使用されている。

JR 東日本山手線【原宿駅】ホーム上屋古レール全景

跨線橋のさらに代々木方のホーム上屋の古レール全景である。上の写真と架構は変わらないが、延々続くホーム上屋の全てが古レールではなく、写真に写っている部分の手前の約半分程度のみであり、それより奥(代々木方)は通常の型鋼によるものである。

イベント等で突発的な多客時がある割には島式ホーム一面であり地形的な制約のため拡幅も難しいため、柱には安全のため防護が施されており、その部分の古レールの観察が不可能となっている。

JR 東日本山手線【原宿駅】ホーム上屋古レール全景

柱頭部の架構を拡大して見る。駅名標のあるスパンは後年の増築と推測されるが、古レールではなく型鋼による架構となっている。さすがに型鋼の部分はよりシンプルである。

JR 東日本山手線【原宿駅】ホーム上屋古レール架構

古レール部分の柱頭部を改めて見る。少々分かりづらいかも知れないが柱は古レールが 2 本背中合わせに組み合わされたタイプであり、そこから少々腕の角度が異なるがかつての日本石油マークのような梁が短辺方向に張り出している。

長辺方向の梁については台形の底辺が無いようなデザインとなっているが、端部の曲がり具合いは短い長さの中で結構キツい角度となっており、我々素人目には加工に手間がかかりそうな印象を与える。

JR 東日本山手線【原宿駅】ホーム上屋古レール架構

しつこいが、柱頭部分をさらに拡大する。長辺方向の梁は柱に取り付けられたプレートに溶接され、そのプレートは柱の古レールのウェブに縫いつけられている。そこにはリベットではなくボルトが用いられている。というより見えている部分全てボルトである。往々にして古レール構造物の接合部にはリベットをよく見かけるがボルトは少数派ではないだろうか。

また、長辺方向の梁の端部の曲げ加工はやはり難儀したのだろうか。下フランジはまるで折れているというか座屈しているような様相である。

JR 東日本山手線【原宿駅】ホーム上屋古レール架構

詳細な撮影位置をメモするのを忘れてしまったが、ホーム上屋の建物財産標には『旅客上屋 8 号』、『昭和 33 年 2 月 16 日』との記載がある。どういう区分で 8 号なのか不明だが、増築する度に新たな財産として号数が増えるのかも知れない。

ただ、『鉄道構造物探見』によると古レールの再利用は概ね昭和 30 年代までとのことなので、古レール構造物としてはほぼ最晩年期と言える。そしてその時期は鋼構造物の接合にボルトが普及し始めた頃でもあるので、新旧の世代交代が交錯しているとも考えられる。

JR 東日本山手線【原宿駅】ホーム上屋建物財産標

次に跨線橋の全景である。トラスを構成している部材こそ古レールではあるが後年大幅な改修を受けたと思われ、屋根には明り取り窓が取り付けられ側壁もパネルとなっており塗色も錆止め塗装のような不思議なものであり、往年の『これぞ古レール跨線橋』といった雰囲気はトラスであるという見た目以外感じにくい。

ただ、その代わりそこまでの改修を施しているということは当分の間使用され続けると思われるので、その面においては評価したい。

JR 東日本山手線【原宿駅】跨線橋古レール全景

跨線橋の側面のトラスについては中央の二径間のみが X 型であり、それ以外の両端については左右対称に 1 本のみの斜材となっている。このタイプはプラットトラスの変形版と言ってよいのだろうか。また、交点のガセットプレートがよく見かける古レール跨線橋よりは大きいようである。

JR 東日本山手線【原宿駅】跨線橋古レール架構

跨線橋を支える柱についてはレールが 4 本組み合わされたゴツいものである。しかし、その内側に後年設置の柱により補強されているようであり、これほどの柱が追加されたとなれば実質的には古レール柱は荷重をほとんど負担していないかも知れない。

JR 東日本山手線【原宿駅】跨線橋古レール架構

跨線橋の階段部についても両脇の柱及び階段上り口の天井部の一部が古レールではあるものの、それ以外は大幅な改修が施されており、内部からは古レールの有無は確認できない。

JR 東日本山手線【原宿駅】跨線橋古レール架構

ただし、跨線橋の階段部は外側から見ると古レールで組まれていることが確認できる。また、写真では白飛びしてしまって分かりづらいが、竣工年もしくは改修年を示していると思われるプレートがあり、そこには『(新) 1957-3』とある。※新は○の中。

そうすると、先ほどの建物財産標では 昭和 33 年即ち 1958 年との記載があることから、これはこの跨線橋の竣工年ではないだろうか。では、この跨線橋が出来る以前は駅本屋からホームへはどういう通路だったのか、興味が湧くが残念ながら情報を得ていない。

JR 東日本山手線【原宿駅】跨線橋古レール架構

跨線部分の内部は前述の通り大幅な改修の結果、古レールなど微塵も感じさせない意匠となっており、古レール調査の観点から見れば非常に残念な仕上がりである。ただ、一般利用者にとってみれば明るくそして古臭くない今どきの通路として捉えられているかも知れない。

JR 東日本山手線【原宿駅】跨線橋古レール架構

最後に正月の明治神宮への参拝用の臨時ホームの下部構造の古レール全景を渋谷方より望む。全景といってもホームが曲線であるため代々木方の一部は写っていないが、全長に渡って古レールである。

JR 東日本山手線【原宿駅】臨時ホーム下部構造古レール全景

延々と古レールが続いているのが分かる。架構としては至極シンプルなラーメン構造と思われる。なお、床版の構造が手前と奥で異なっているが、これはホームの延長によるものなのか別の理由なのか分かっていない。

JR 東日本山手線【原宿駅】臨時ホーム下部構造古レール全景

より代々木方を俯瞰する。ここでもひたすらに古レールが続いている。そして、ところどころにアングル(L 型鋼)によるブレース(筋交い)が確認できる。また、左端から 3 本目から柱の内側に型鋼のような部材が添えられている。下の写真はマウスのホールもしくは右下の + - で拡大縮小、ドラッグが可能なので確認して頂きたい。

筋交い部分を見る。筋交いの地面に埋まっている側の端部は納まりが確認できないが、後年の設置ではないだろうか。なお、写真の位置では床版の構造が異っており、その左側では柱のスパンが極端に短いことからどちらかが延長されたホームであろう。

JR 東日本山手線【原宿駅】臨時ホーム下部構造古レール架構

刻印

今回発見した刻印は以下の通り。相当量の古レールが使用されているものの、そもそも観察が難しい位置であったり覆い隠されていたりするため、刻印は少数しか確認できなかった。

No 刻印 場所 備考
1 OH TENNESSEE-6040- (以降確認不可) ホーム上屋 平炉製鋼法、アメリカ US スチール・テネシー社、コード番号 6040
2 ※判読不可 跨線橋 ※写真は拡大縮小可能であるため、判読にご協力頂けると幸いである。
3 ? MARYLAND ? ホーム上屋 アメリカ メリーランド製鋼社 ※社名以外の文字が判読不可。
4 CARNEGIE (以降確認不可) ホーム上屋 アメリカ カーネギー社
5 50 PS (S) 1950 I OH ホーム上屋 50kg / m、日本製鉄、1950 年 1 月製造、平炉製鋼法
6 ? 1922 (以降確認不可) ホーム上屋 1922 年製造
7 37 (S) 1936 IIIIIIIIIIII OH ホーム上屋 37kg / m、日本製鉄 1936 年 12 月製造、平炉製鋼法
8 50 PS (S) 1933 IIIIIIIII OH 跨線橋 50kg / m、官営八幡製鉄所、1933 年 9 月製造、平炉製鋼法 ※ただし、古レールのページによると、製造年と 50 PS の組み合わせが存在しない

No.1

JR 東日本山手線【原宿駅】古レール刻印

No.2

※どういう訳か画像が縦向きに表示されてしまうが、ご容赦頂きたい。

No.3

JR 東日本山手線【原宿駅】古レール刻印

No.4

JR 東日本山手線【原宿駅】古レール刻印

No.5

JR 東日本山手線【原宿駅】古レール刻印

No.6

JR 東日本山手線【原宿駅】古レール刻印

No.7

JR 東日本山手線【原宿駅】古レール刻印

No.8

JR 東日本山手線【原宿駅】古レール刻印

総評

冒頭で現存する駅舎の竣工年について Wikipedia での記述と駅本屋の建物財産標とに相違があることに触れたが、実は原宿駅の建設を管轄していた旧国鉄の東京第一工事局発行の『東京第一工事局八十年史』ではさらに相違が見られる。そこには『大 10』と記載されているのである。竣工時からあまり年数が経過してないと推測されるが、撮影時期は記載がないため不明である。

JR 東日本山手線【原宿駅】駅本屋(撮影時期不明)

出展:東京第一工事局発行『東京第一工事局八十年史』 ※管理人一部加工

結局、大正 10、13、14 年のどれが正確な竣工年なのか不明である。Wikipedia の記述の出展が不明であるため、これは最も信ぴょう性が低いと言わざるを得ない。また建物財産標は一般的に考えれば登録年であって必ずしも竣工年そのものとは限らない恐れがある。となると建設を担当していた工事局の情報が最も信頼できるような気がしているが、八十年史では何の説明もないため断定するには少々心もとない。

駅舎そのものについては別途報告する機会を設けたいと考えているが、以下の個人ブログにて 1959 (昭和 34) 年当時の写真が掲載されているので、紹介したい。

一応比較のため原宿駅古レール調査時に撮影した写真を以下に示す。正面玄関の柱や向かって左側の増築部、飾り窓(?)等々に相違が見られる。

JR 東日本山手線【原宿駅】駅本屋(2010/01/07 撮影)

いつものことではあるが、報告書を書く度に宿題が増えていく。皆さんのご協力を仰ぎたい。

また、同駅に隣接する(というより構内)側部乗降場についての古レール調査報告を以下の報告書にて公開しているので、合わせてご覧頂きたい。

さらに、前述の同駅臨時ホームの建立されている七十周年記念碑について以下の報告書により紹介しているので、こちらも合わせてご覧頂きたい。

参考文献等


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