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古レール JR 東日本山手線【原宿駅側部乗降場】

大正天皇のために作られたホームの古レール。

2010/11/20 公開。

概要

東京都心に住んでいるもしくは通っているとしても『原宿駅側部乗降場』とは聞き慣れない単語ではないだろうか。かく言う私ももちろん、調べるまで知らなかった。

しかし、山手線の原宿~代々木間の車窓から見えるものの使われている様子のない謎のホームと言えばご存じの方も多いと思う。そう、あの全く人気のないあのホームである。隣接する原宿駅からは関係があるのかないのか何とも言えない微妙な距離であり、一見何のためのホームか分からない不思議な施設である。

原宿駅側部乗降場という名称からも結局何のことだか分かりにくいが、このホームは俗に『宮廷ホーム』とも呼ばれる皇室専用のホーム即ち乗降場なのである。

テレビ番組でいうところの『皇室アルバム』などを視聴することのない類の日本人であるため皇室関係の情報は門外漢もいいとこであるが、当初この施設は至近に位置する明治神宮に関連するものだと想像していた。ただ、皇居からお参りするのであれば Knight 2000 も真っ青の厳重な装甲の施された自動車があれば充分であることからわざわざ鉄道を利用することもないであろうなどと、結局よく分からないままであった。

しかし、山手線の車窓から見えるこの乗降場からは我々下々の民衆が利用出来るような代物ではないという雰囲気が伝わってくる。しばらく使われたことのない侘しさ、ホームには落ち葉なども散乱したまま、そして何よりも改札等の鉄道としての営業設備が一切存在しないのである。

そんな原宿駅側部乗降場は地図上では『宮廷ホーム』と表記されるが、元来病弱だった大正天皇のご静養のために建設された施設なのである。竣工は 1925 (大正 15) 年 8 月である。

今でこそ、皇族の東京から地方への移動は新幹線がほとんどであるが、当時はもちろん在来線が主体である。そして面白いことに大正天皇のために作られた名残りなのか、この乗降場を単独で利用出来るのは天皇のみである。しかし、この乗降場も今となっては長らく使用されていないため入線するためのポイントも錆びついているとのことである。

大正天皇のために作られた施設ではあったが竣工年から想像がつくとおり、ご静養のためここから出発したものの残念ながら二度と帰ることはなかった。

調査日:2009/01/17

調査結果

架構

前述の通りこの施設には我々一般人は立ち入ることができない。しかし、隣接する原宿駅のホームの代々木方の先端付近より遠望することが可能である。調査時点ではユンボが入線しており、詳細は不明であるが何かの工事期間中であった。

JR 東日本山手線【原宿駅側部乗降場】ホーム上屋古レール全景

原宿駅からはこれ以上如何ともし難いため、正門へと移動する。正門は山手線の線路脇にあり、閉ざされた門がそこにある。そして手前のホーム上屋に古レールを確認できる。

JR 東日本山手線【原宿駅側部乗降場】ホーム上屋古レール全景

ということで、そのホーム上屋の古レール架構を柵の隙間にカメラを突っ込んで確認する。片流れ屋根のため、左右対称ではなく、直線と曲線が組み合わされた独特の Y 字型となっている。

写真では分かりづらいが、普段我々が目にする蛍光灯ではなく、独特の照明器具が屋根の裏側に設置されている。また、当然であろうが案内板などのサイン類が一切存在しない。

JR 東日本山手線【原宿駅側部乗降場】ホーム上屋古レール架構

さらに奥を同様の手法で望む。この片流れ屋根部分のホームは清掃されて日が経っていないのか落ち葉なども散らかっておらず、サッパリとした雰囲気である。

古レール架構も延々続いている。また、奥には線路上に上屋が見えるが現地で確認できる範囲ではこれも古レールによるものと思われる。

JR 東日本山手線【原宿駅側部乗降場】ホーム上屋古レール架構

柵の外からホーム上屋を見る。古レール架構が整然と並んでおり、奥には辛うじて先ほどの線路上屋も確認できる。そして、軒先に施された正方形の独特の装飾がずっと続いている。

JR 東日本山手線【原宿駅側部乗降場】ホーム上屋古レール架構

その軒先の装飾を拡大して見る。屋根自体の構造は一般的な作りのように思える。しかしそこはさすがの天皇専用乗降場なのだろう、さり気ない装飾が施されている。もちろんさすがである、監視カメラも必須の設備である。

JR 東日本山手線【原宿駅側部乗降場】ホーム上屋古レール架構

JR JR 東日本山手線【原宿駅側部乗降場】ホーム上屋古レール架構

刻印

何と言っても我々庶民は立ち入り禁止であるため、施設外から見える範囲で刻印の調査を試みたが発見は不可能であった。

総評

近年は全く使用されていないものの、大正天皇のために作られその本人がそこから出発したまま最終的には帰らぬ人となった意義深い施設である。Wikipedia を読むと、非常に気さくな人柄だったようである。

東京の真っ只中にあって、全くそのままではないにせよ今もそこに大正時代の雰囲気が残されている貴重な場所かも知れない。

国土変遷アーカイブで戦前(国土地理院の不備で撮影年が 0000 年)期と思われる航空写真を見ると、前述の正門から見える片流れホーム上屋と母屋(でいいのだろうか)のとが確認できる。

しかし、線路上屋は後年の設置と思われここでは存在していない。これは戦後米軍が撮影した航空写真でも同様である。

また、この施設は我々一般人は立ち入り厳禁であるが鉄道イベントが催されたこともあったそうである。以下にそのイベントのうち 1979 (昭和 54) 年 5 月 13 日に開催された今は亡き 201 系電車の展示会の際の写真が紹介されている。

どうか再びこのようなイベントを開催して頂けないだろうか。> 当局 (!?) の方々

是非ともこの貴重な施設の古レールを間近でじっくり調査したいものである。ただ、この古レールに関して個人的にはひとつ疑問がある。それは仮にこの古レール架構が竣工時からのものと仮定すると、そもそもなぜ皇族専用というもっとも『穢れ』を忌み嫌うべき施設であるはずが、『古レール』という言わばリサイクル品が使用されたかである。ましてや大正時代である。

穢れについては伊勢神宮の神宮式年遷宮の理由として推測されている通り、要は常にピカピカでなければならないという考え方から生まれるものとも言えるが、なぜこの原宿駅側部乗降場では構造部材に新品の材料を用いなかったのかが不思議でならない。

現地に立ち入ることができないため、『建物財産標』の有無も不明である。どなたかこの辺りの情報をお持ちではないだろうか。今後もこのまま存続し続けるか不明だったりとつくづく不思議な施設である。

最後に通常我々が利用可能な原宿駅にも古レール構造物が存在しており、以下の報告書により紹介しているので合わせてご覧頂きたい。

参考文献等


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