旧千駄ヶ谷村だった駅の古レール。
2010/02/12 東口出口部分を追記。
2009/03/11 公開。
当サイトを以前よりご覧の方には既にお分かりだと考えているが、本報告書のタイトルについてくどいようだが補足をしておきたい。JR 東日本としての代々木駅は現在山手線及び中央・総武緩行線が停車する駅であり、タイトルにあるような『中央本線』の駅だとは捉えにくいかも知れない。しかし、JR のそれぞれの駅には正式な『所属線』なる定義が存在し、その駅がどの路線に所属する駅であるかが明確に定義されている。それによると同駅は『中央本線』なのである。
現在同駅は JR の二路線及び都営地下鉄大江戸線との乗り換え駅としてちょっとしたターミナルのように機能しているが、1906 (明治 39) 年 9 月 23 日開業当時はそもそも旧国鉄の駅ではなく甲武鉄道という私鉄の駅であった。またその位置も現在の中央・総武緩行線上の駅であり、山手線上には存在しない単なる途中駅だったのである。
その後同駅開業翌月には同社の路線ごと旧国鉄に買収され、現在中央本線と呼ばれることの多い『中央東線』の駅とされた。さらにその後平行する山手線にもホームを設置し現在に至っているのである。ただし、ホーム位置が現在と同じになったのは山手貨物線開業後の 1924 (大正 13) 年のことである。
従って、同駅ホーム上屋に多く利用されている古レールはひょっとすると大正末期からそこにあるのかも知れない。古レールの再利用は極めて一般的な時代である。しかし毎度のことであるが駅構内の構造物に関する工事記録を追う方法を現時点で私が知らないため、確証はないという前提であるのはご容赦願いたい。
調査日:2007/04/21、2008/05/11、2009/12/30、2010/01/17
同駅ホーム上屋に使用されている古レール架構は、複線の線路を挟んだ隣のホームとの間を架線支持構造物としての機能も兼ね備えたものとなっておりその形状は曲線を多用した美しいものである。
いつも思うことではあるが、このようなへたすると駅の一般利用者は目にすることはあっても気にも留めないような構造物に対してのシンプルではあるが無機質さを感じさせないデザインと古レールといういわば廃材の再利用という一石二鳥を成し遂げている構造物も鉄道構造物の特殊な一面を醸し出していると思う。
また、このような古レール架構はある程度のパターンに則っているとは言え、ディテールに関してはそれぞれの駅や箇所について個性があり、見ていて飽きることがない。
新宿方に向かって見る。美しい曲線を描いた古レールが隣り合うホームを結んでいる様子が分かる。
逆に原宿方を見る。このように望遠気味で見ると壮観な眺めである。
少数派である 209 系 500 番台の車両が入線してきたので記念に撮ってみた。古レールが架線を支持している様子が確認できる。
これまでの写真で主に写っている線路上部分の古レール架構については航空写真からも確認可能である。以下では原宿方上空より斜めに見下ろしたものである。実際の地図サイトで確認したい場合は以下のリンクから参照願いたい。
また終戦直後の米軍撮影の航空写真では残念ながら解像度の低さにより古レール架構の確認は難しいが参考にして頂きたい。どちらかというと古レールよりも何よりも現在とは大きく異なる様々な風景が新鮮である。
また、同駅ではホーム延伸部分の下部構造にも古レールが使用されている。3 面あるホームのうち、山手線と中央・総武緩行線の南行ホームである 2・3 番線の新宿方の部分である。写真では少々見辛いが無塗装の古レールがホーム下部構造に使用されている。
上のホーム下部構造を接写して見る。ホーム下部構造は当然ながらホーム上からの確認が困難であるため、このような写真を撮ることすら難しいが極めてシンプルな架構であることが分かる。
さらに同駅では東口出口の屋根にも古レールが僅かではあるが用いられている。この出口の特徴的なデザインは見慣れている方も多いだろう。少々雰囲気は異なるが筑豊地方にかつて存在した炭坑のラッパ型の坑口を連想させる。
古レールはこの屋根の軒(この表現は正しいのだろうか)に使用されており、柱と梁とを兼用しているような架構となっている。
屋根以外の躯体は基本的にコンクリートであるが、門構えの部分には石貼りのような装飾が施され無味乾燥になりがちなコンクリート構造物に華を添えている。
また、この独特の曲線で構成された屋根は基本的に木材で構成されており、その先端を古レールが支えている架構となっている。果たしてこの屋根はいつから存在するのであろうか。この東口の設置と同時に作られたのか後年の後付けか何とも判断が難しい。
今回発見した刻印は以下の通り。同駅での古レールへの塗装も比較的厚く、刻印の判読は困難を伴う。また、以下に取り上げた以外にもさらに判読が困難なものが散見された。この傾向は現在の山手線沿線においてほぼ共通している印象がある。後の改修時の塗料に同様のものが用いられたのであろう。
また、同駅でのホーム下部構造部での古レールにおいてはわずかしか鑑賞できなかったこともあり刻印を発見することはできなかった。超望遠レンズをお持ちの方の今後の活躍を期待したい。
また、今回は深い理由はないがピンボケ等の不明瞭な写真も恥を忍んで晒してみたい。
No | 刻印 | 場所 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | (S) 60 A 1908 IV (以降確認不可) | ホーム上屋 | 60LbS / yd、官営八幡製鉄 1908 年 10 月製造 |
2 | CARNEGIE 1908 ET IIIIIIII |-| | ホーム上屋 | アメリカ カーネギー社 1908 年 8 月製造 |
3 | CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED STEEL (以降確認不可) | ホーム上屋 | イギリス キャンメル社 強化鉄(※商品名) |
4 | UNION 1905.I.R.J. | ホーム上屋 | ドイツ ウニオン社 1905 年製造 鉄道作業局発注 |
5 | UNION 1906.I.R.J. | ホーム上屋 | ドイツ ウニオン社 1906 年製造 鉄道作業局発注 |
6 | CAMMELLS・ TOUGHENEDSTEEL 1887.SEC.131.I.R.J. | ホーム上屋 | イギリス キャンメル社 強化鉄(※商品名) 1887 年製造 セクション番号 131 鉄道局発注 |
7 | CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED STEEL W.1887.SEC.131.I.R.J. | ホーム上屋 | イギリス キャンメル社 強化鉄(※商品名) 1887 年製造 セクション番号 131 鉄道局発注 |
8 | UNION D (以降不明瞭) | ホーム上屋 | ドイツ ウニオン社製造 |
9 | CARNEGIE 1905 ET I N T K | ホーム上屋 | アメリカ カーネギー社 1905 年 1 月製造 日本鉄道(?)発注 |
10 | CARNEGIE 1905 ET (以降確認不可) | ホーム上屋 | アメリカ カーネギー社 1905 年製造 |
11 | CARNEGIE 1905 ET I N T K |-| | ホーム上屋 | アメリカ カーネギー社 1905 年 1 月製造 日本鉄道(?)発注 |
12 | CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED STEEL W.1886.SEC.131 (以降不明瞭) | ホーム上屋 | イギリス キャンメル社 強化鉄(※商品名) 1886 年製造 セクション番号 131 |
13 | 6009 ILLINOIS STEEL Co (以降確認不可) | ホーム上屋 | アメリカ イリノイ製鋼会社 |
14 | (S) 60 A 191? (以降不明瞭) | ホーム上屋 | 60LbS / yd、官営八幡製鉄 191? 年製造 |
15 | BV&COLD (以降確認不可) | ホーム上屋 | イギリス ボルコウ・ボーン社製造 |
16 | (不明瞭) | 東口出口 | ※刻印かどうかも疑わしい |
代々木駅の古レールは明治時代のものが非常に多く残されている印象である。というより大正時代以降のものが見当たらない。従って短絡的な発想ではあるが、やはり大正末期に現在の位置にホームが設置された際に構築されたものと考えてもあながち間違いではないのではないだろうか。
そして、それ以前のホーム上屋は木造であったかも知れない。ちなみに東京駅については大正時代の開業であるが驚くべきことに現在も木造のホーム上屋が一部残っている。ただ、それは関東大大震災の復興時のものかも知れないが。
常々感じることであるが、往々にして鉄道構造物についての改修や改良の履歴等の類の情報は我々一般人には非常に追いにくい。旧国鉄の場合はホーム上屋等に掲示されている『建物財産標』により財産として登録された年を把握することが可能な場合もあるが、あくまでもそれは登録年月であり、現在の構造物の来歴を示すものとは限らないため注意が必要である。
また、同駅のように都心の駅は今後の改良工事によりこれらの古レールが失われる可能性も考えられるが、都営大江戸線の同駅への乗り入れに関する工事でも古レールは無事だったため、当分の間は心配ないだろうと全く勝手な想像(期待)をしている。
そして、できれば写真撮影の腕を上げてもう少しマシな写真を撮るために現地調査をリベンジしたい気持でもある。