かつてそこは人の住む街まで抱えるほどの日本を支えた一大鉱山であった。
2008/06/18 全写真のサイズを拡大しました。
2007/01/08 公開。
第一巻より続く。
ここからがいよいよ鉱山施設本体である。地形図で調査した範囲全体を把握しておく。
と言いつつ、鉱山施設について全く知識がないためいい加減なのと、地形図に現れない様々な施設は書ききれないので参考程度と捉えて頂きたい。
出展:国土地理院 1/25,000 地形図「田老鉱山」(S46/08/30 発行)※管理人一部加工
まず最初は中央橋を渡ってしばらく中に入ると現れる鉱山事務所と思われる建物である。恐らく閉山後に田老鉱山を伝える資料館として一時期再利用されていたらしく正面玄関には当時の案内看板が放置されていた。
現在は閉鎖されているようであり残念である。看板はひっくり返っていたのを撮影用に一旦起こしたものである。
この建物は上の写真では普通の RC (鉄筋コンクリート) 造 5 階建のように見えるが、実は裏側は斜面に取り付いており階段の逆のような状態になっている。
最上階の一番奥は裏の高い位置にある道路に面しており、こちら側にも入口があった。しかし玄関同様閉鎖されているので内部へは侵入していない。
以前他サイトでこの最上階の様子を伝えた写真を見たような気がするが、当時は内部へ出入りできたのであろうか。
次は田老鉱山の心臓部であったとも思える選鉱所である。これはとにかく目につく巨大な施設であり、またそのまま廃墟として残っていることから多くの人が訪れる有名な場所でもある。
思い出して頂きたい。今ここは明星大学田老キャンパスなのである。いろいろ意見はあろうが、私はかつての産業遺構をそのまま残しているのは意義があると思う。撤去してないだけ、かも知れないが。
内部はかつて選鉱のための機械がひしめき合っていたと思われるコンクリート基礎が整然と並びかつての騒々しさを想像させる。
また、柱の上部にはクレーンを支える H 型鋼が載っていたと思われるアゴがある。というか、このような構造の建物でクレーンがないほうが不思議である。
鉄な方にとっては車両工場で電車を吊り上げる時に使用されるクレーンをイメージして頂くとお分かりだろう。
クレーンはご覧のとおり撤去されているようだが、屋根も光が射しているのは明かり取り部もあったかも知れないが屋根材が撤去ではなく脱落しているからである。
斜面にへばりつくように建設されているため、上の左の写真の右側はさらに広がっているが二階が一階のようになっている。
下の右の写真がその階であるが右側(山側)にはさらに上階がある。しかし、奥に見える鉄骨階段は腐食が激しく危険と判断し近づかなかった。
また、逆に最も低い場所には鉄索の起点となる施設が残っていた。この部分は旧版地形図で示したとおり鉄索の角度にあわせ選鉱所の建物に対して斜めに取り付けられいる。
この鉄索は冒頭でも触れたとおり、宮古市中心部宮古港に程近い鍬ケ崎に建設された鉱石集積所まで延々 13.5km に渡るものであった。それがここから始まっていた。
この鉄索起点付近を外から見るとこのような感じである。選鉱所に対して斜めに取り付いている様子が分かる。
RC 造の部分の下部は右の写真のようになっている。何故このような複雑な形状なのだろうか。
選鉱所の西側には最上階へ通ずる鉱石を運び込むためのコンベアというかトロッコような跡が残されていた。
また、周囲には他にもいろいろな装置の基礎(架台)と思われるコンクリート構造物が多数存在していた。
中央に見える日本の鉄骨はなんとレールであった。径間は残念ながら道具を持ち合わせてなく測定できなかった。鉄分 キタ━(゚∀゚)━!!!!!
反対側はコンクリートのトンネルとなっており、内部へと続いていた。
※この写真のみ手違いによりオリジナル画像が失われたため小さいサイズであるがご容赦を。
ちなみに、上の写真のトンネルは閉塞されていなかったため内部へ侵入してみた。結果先に紹介した鉱山事務所と思われる建物の裏側にある坂道の横に巨大なコンクリート構造物があり、その脇の穴から抜けた。
こんなところから鉱石を運び入れていたのであろうか。
この穴はその下の写真での右側のコンクリート構造物にある。実はうまく撮れなかったため穴が写っていないが。。。
上の右の写真の道路を上がっていくと鉱山事務所の最上階の裏側に出る。
そのすぐ脇に鉱員が入坑の際に装着するための『キャップランプ』と呼ばれるものが準備された小屋があり、内部には恐らくキャップランプを置くためのラックが整然と並んでいた。
また、小屋の入り口には『キャップランプ使用心得』が掲げられており当時の雰囲気を留めている。
小屋を過ぎると広場に出るが、その一角に坑口と思われる場所を発見した。施錠されていたので接近しなかった。後に他サイトで確認したところトロッコ用と思われるレールが扉の外にも続いていたとのこと。大失敗だった。
広場の周囲にも何かの架台と思われるコンクリート構造物が散見され、かつてはここにも様々な鉱山施設があったものと思われる。
また、下の右の写真の通り広場を取り巻く一段高い場所に道路もあった。この先は時間的に調査できなかったため鉱山事務所裏についてはここまでとした。
ここで、再び選鉱所付近に戻るとシックナーと呼ばれる巨大水槽が調査時点も稼動していた。調べてみるとこれは水に混ざった固体等を凝固、沈殿させきれいな水を取り出す装置だとのこと。
それにしてもデカい。ここでは最も巨大なものについて紹介したい。大きさがお分かりいただけるだろうか。
なお、現在使用されていないシックナーには鉄骨の架台が組まれ明星大学による宇宙線観測装置が大量に設置されケーブルがてんこ盛りになっていた。
職業柄配線の煩雑が気になるが。。。やはりプロではなく大学の研究室レベルだとこんなものだろうか。
また、実は先に紹介した中央橋から中に進んで選鉱所の手前に石垣で築かれた幾段にもわたる不思議な場所があり、その脇には沢を通したと思われるトンネルもあった。
トンネルは通り抜けが可能であり、通り抜けてみると先ほど紹介した坑口付近の広場へと続いていた。
一体何故沢を通すためにわざわざトンネルを作ったのか、何か石垣の構造物に答えがありそうだがよく分からない。
最終巻へ続く。