世界一狭い海峡となるか。
2008/02/03 公開。
はじめにお断りとして、本件については町史等の一次情報源での机上調査ができていないため、Web で収集した情報をベースと現地での知見に基づいて記述させて頂く。
紀伊半島南端に程近い和歌山県白浜町。南紀白浜と言い直せば有名な温泉地としてご存じの方も多いだろう。その歴史は古く、なんと『日本書紀』にも登場し日本の三古湯とも呼ばれている。
昨年夏にこの南紀白浜を訪れる機会を得た。お題目は『ありがとうきのくにシーサイド号』の乗車であったが、宿泊地が同町のホテル古賀の井であったため空いた時間にホテルの貸自転車で散策した際偶然発見したのが今回の調査対象である『羽衣橋』である。
なお、この次の日に実施した調査したのが廃線調査報告書 紀州鉄道紀州鉄道線廃止区間【西御坊~日高川】である。
今回の橋名は現地では判明せず、後日机上調査で判明した。
同ホテルは『古賀浦』と呼ばれる白浜温泉の中心より東に位置する地域にある。ここは羽衣半島と呼ばれる小さな半島であり、先端に判台(はんだい)地区と呼ばれる離れ小島が存在する。
今回の調査対象である『羽衣橋』はこの半島の先の離れ小島を陸続きにするために架けられた橋である。
ところで半島の先の離れ小島との橋ということは、海峡を跨いでいるということである。その名は地区名称と字が異なり『飯台海峡』である。そしてこの橋の竣工年は実に今から 70 年以上も前の昭和 9 年である。
昭和初期に海峡を跨ぐ橋が架けられたというのは単純に考えてすごいことである。かつて架橋には莫大な費用と地元や発起人等の情熱や陳情等かなりの労力が必要であり、この橋にかけた思いも他の古い橋同様大変なものであったと想像される。
しかし、この橋は実は全長実に約 9m という小さく地方にひっそりと存在しているという感じが言えなくもないため海峡を跨ぐ重要とも言える橋にも関わらず Web での情報はほとんど見つからなかった。わずかに見つかった紀伊民報サイト内のページでは、なんとこの橋の架かる海峡が世界一狭い海峡である可能性がありギネスへの申請を視野に入れているとのこと。
ただ、その記事は 2005 年のものでありその後の進展は不明である。
本報告書では今後もしかすると世界一狭い飯台海峡に架る橋、しかも昭和一桁年竣工の歴史ある橋として名を馳せるであろうこの橋の現状をお伝えしたい。
# 個人的には有名にならずに今の静かな雰囲気の橋のままであることが望みではあるが。
また巻末に記載したサイトには一次情報源である白浜町史からの羽衣橋や周辺の説明や関連する古い写真も紹介されているためぜひご覧頂きたい。
調査日:2007/08/04
※詳細不明により現地調査及び参考文献等による推測
項目 | 内容 |
---|---|
竣工 | 1934(昭和 9)年 |
路線名称 | 不明 |
構造形式 | 鉄筋コンクリートアーチ橋 |
材料 | 橋脚部:コンクリート 橋台部:コンクリート アーチ部:コンクリート及びコンクリート石張り 欄干部:コンクリート石張り |
全長 | 約 9m |
幅員 | 未確認 |
高さ | 未確認 |
調査対象の道路地図である。調査対象の橋が架かっている飯台(はんだい)海峡は白浜半島の東部に位置し先端の離れ小島とをつないでいる。
地形図で見てみるとこの海峡及び橋があまりメジャーではない理由が何となくおわかりだろう。幸いにも繁華街の形成されていない場所に位置しているのである。
出展:国土地理院 地図閲覧サービス(試験公開) 1/25,000 地形図「紀伊白浜」 ※管理人一部加工
昭和 50 年度撮影の航空写真では海峡及び橋の様子がよくわかる。赤丸部分にある逆三角形が今回の調査対象の羽衣橋である。この橋は半島側からの道が離れ小島で二手に分岐する分岐点の役割をも担っているのである。
ちなみにギネスへの認定を目論む白浜町企画観光課の実測では海峡部の長さは約 13m であったという。
出展:国土交通省 国土画像情報(カラー写真) 整理番号「CKK-75-15」(S50 撮影)※管理人一部加工
まず西側全景である。約 9m を一気に跨ぐ大胆な造形のコンクリートアーチ橋である。また、このような古いコンクリートアーチ橋でのアーチ部分の構造がコンクリートの打ち継ぎ面より見て取れる。
また、欄干というか縁石のようなものがあるだけでガードレールが設置されなかったのが幸いして恐らく竣工当時のままの姿と思われる。
そして忘れてはならないのがこの橋が跨いでいる部分こそ世界一狭いかも知れない海峡、飯台海峡である。
次に東側である。こちらは何故か二連アーチであり、さらに表面が石張りとなっている点が西側と大きく異なっている。また橋の前面にある水門のガイドのようなコンクリート構造物はその上のパイプもだと思われるが恐らく後年作られたものであろう。
上の写真の水の流れている部分とあわせて考えると右側のアーチ部分はひょっとして反対側へ貫通していないかも知れない。現地ではそれが確認できる位置へ移動できなかったため、あくまでも推測であるが。
思い出して頂きたいがこの橋は上から見ると三角形であり、上の写真のワンスパンアーチの内部の形からもそう考えられる。
竣工当時は大阪にある心斎橋を模した優美な橋として親しまれたという。
南東部の親柱である。一見何か角印の文字のようにも見えるが残念ながらそうではなく、銘板が失われた跡のようである。
上の写真の奥側つまり北東部の親柱である。こちらもやはり銘板はすでに無い。
北西部の親柱である。ついに銅版と思われる銘板を発見。刻まれた字は次の写真をご覧頂きたい。
『昭和九年秋○○』である。写真で充分判別可能と思いこみ現地でメモしなかったが、なんと写真でも汚れのせいで微妙に判別不可能である。
痛恨のミスである。どなかたお分かりだろうか。
最後に南西部の親柱である。ここも幸い銘板が残されていた。大胆なワンスパンコンクリートアーチと石造りの組み合わせが独特である。
例によって銘板の内容は次の写真をご覧頂きたい。
『はんだい海峡』である。何故に『ひらがな』なのであろうか。飯台か判台かで揉めたのか。
今回は見知らぬ土地で適当に散策中に偶然見かけたことと、なかなか Web での情報も少ない対象でもあり机上調査が全くと言っていいくらいできていないため報告書とは言えないかも知れないが、このような橋が現在も現役で活躍していることを知らしめたく取り上げた。
東京在住であるため、なかなか現地への再訪は叶わないと思われるため、偶然とはいえこのような歴史のある橋を見ることができたのはとても有意義であった。 また幸いにも交通量も少ない道であるため、オリジナルのままと思われる状態で残っているのも嬉しい。
下に示したリンク先から得た情報ではあるがどうやらこの橋や周辺の開発の歴史は白浜町史に記述があるらしく、今後はその町史による文献調査実施後に本報告書への追記をしたいと考えている。
また、この橋について情報を何かお持ちの方はご連絡頂けるとありがたい。