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古レール 西武鉄道豊島線【豊島園駅】

西武鉄道最短路線の終端駅の古レール。

2010/07/27 公開。

概要

都心の老舗の遊園地として名を馳せる『としまえん』の最寄り駅である西武鉄道豊島線豊島園駅は前身の武蔵野鉄道により 1927 (昭和 2) 年 10 月 15 日の開業である。西武鉄道の数ある路線の中で途中駅も無く延長距離もわずか 1.0km という最短路線であるが、80 年以上の歴史を歩んできているのである。

現在としまえんとなっている辺りは元々練馬城趾であった。その後の幾多の所有者の変遷を経て遊園地として市民に親しまれる存在となったおり、規模こそ小さいかも知れないが数々な独創的なアイディアやアトラクションを生み出している頼もしい存在とも言えよう。

どう独創的かは、門外漢の私の説明よりも巻末のリンクより Wikipedia をご覧頂きたい。福岡県育ちとしては何故か何度か訪れた広島のナタリーのように歴史の彼方に消えないよう願うばかりである。

話題を古レールに戻そう。同駅での古レールはホーム上屋の一部に見られる。即ち後年の延伸部分には古レールではなく鋼管などが用いられている。また、Rail Magagine 編集長のブログ『編集長敬白』にも以下の記事で 2008/09/18 に紹介されているためご存じの方も多いかも知れない。

私のようなど素人がプロの方に向かってあれこれ申し上げるのは少々憚られるが、この記事にある以下の記述について若干補足したい。

その中で、現在でもおそらく最も多種多様な古レールが見られるのが豊島園駅です。

『その中』とは改良工事などで急速に古レールが失われつつある西武池袋線のことを指しているが、個人的にはまず豊島園駅は池袋線ではなく、豊島線であって・・・というのはさておき、例えば既に本サイトで紹介済みの江古田駅なども本報告書執筆時点では改良工事真っ盛りであり、古レールは実質失われているが、2008 年当時には古レールの宝庫であったと考えている。

また、西武池袋線の駅と言って良いか微妙ではあるが所沢駅などもかなりの量の古レールが使用されている。しかし、残念ながら同駅も駅舎の橋上化が計画されており、既に準備工事も始まっている。ただ、私としては既に現地調査済みであるのでいずれ別途報告書にて紹介する予定である。

かつて古レールの宝庫とも言われた西武池袋線も今ではほとんどの駅で橋上化や改良工事などで失われてしまっている。その中で今回取り上げる豊島園駅はしばらくは駅改良工事の計画はないようなので、西武鉄道としては古レール調査が可能な貴重な駅と言える。

調査日:2008/11/09

調査結果

架構

同駅のホーム上屋の古レールは西武鉄道標準仕様とも言うべきおなじみのやじろべえ型の柱による架構である。また、ホーム自体は広い一面であるが、ホーム上屋は二列存在している。写真は練馬方面に向かって望んだものであるが、向かって右側のホーム上屋はかなり短く、なぜかその後の延伸もなされていない。

西武鉄道豊島線【豊島園駅】ホーム上屋古レール全景

逆に練馬方面から駅舎方面を望む。ここまで見ればこの一面のホームはかつて二面に別れており、ホーム上屋が二列存在するのはその名残りであることが推測できる。なお、向かって右側のホーム上屋においては『4 両最前部位置』の看板より手前は後年の延伸部分であり、古レールではない。

しかし、何故左側のホーム上屋はこんなに短いままなのか。恐らく二両分もないような長さであるが、どなたか情報をお持ちだろうか。

西武鉄道豊島線【豊島園駅】ホーム上屋古レール全景

ここでかつての豊島園駅のホームの様子を古い航空写真より探ってみたい。終戦直後に米軍によって撮影された航空写真によると解像度が荒く少々見辛いものの、ホームが二面存在しているように見える。また、その間には電車も停まっているようである。

また、上の写真での向かって右端の土くれと化している部分もこの航空写真を見るにかつてはホームだった可能性も考えられる。つまり、いわゆる『ヨ』の字型の三面二線のホームだった時期があったのではないだろうか。

ちなみに、不鮮明で何とも言えないが同じく『編集長敬白』の以下の記事の中段あたりに電車の前面からの眺めにそのホーム(?)部分が写っているのでご覧頂きたい。

また、米軍撮影の航空写真は以下の URL より参照可能である。

西武鉄道豊島線【豊島園駅】米軍撮影航空写真(1948 年撮影)

出展:国土地理院航空写真(地区:東京西北部、コース:M860、番号:24、撮影機関:米軍、撮影日:1948/03/29、形式:白黒)※管理人一部加工

古レールのやじろべえを見る。西武鉄道では本当におなじみのタイプである。すっきりとして無駄のない架構である。この写真ではまるで画面奥の最後まで古レールで構成されているかに見えるが、前述の通り実際はそうではない。

西武鉄道豊島線【豊島園駅】ホーム上屋古レール架構

少々くどいが古レールによる架構と後年の延伸部分の境目付近を見る。こうやって見ると実は延伸部分も古レールのやじろべえのフォルムを意識した架構であることが分かる。ニクいぞ、西武鉄道。

西武鉄道豊島線【豊島園駅】ホーム上屋古レール架構

短いほうのホーム上屋のやじろべえを見る。もちろん先ほどと全く同様の架構であり、特段の違いはない。

西武鉄道豊島線【豊島園駅】ホーム上屋古レール架構

同じホーム上屋を逆側より見る。反対側に停まっている電車と比較すれば約二両強分の長さしかない。ひょっとするとこちら側は実質入線する回数が少なく特に問題ないため、ホーム上屋設置当初の長さのままなのかも知れない。そしてそれは武蔵野鉄道時代まで遡るのだろうか。

西武鉄道豊島線【豊島園駅】ホーム上屋古レール架構

刻印

今回発見した刻印は以下の通り。西武鉄道の定番と言えるものが見られる。

No 刻印 場所 備考
1 OH TENNESSEE 6040 ASCE ? 192? ホーム上屋 平炉製鋼法、アメリカ US スチール・テネシー社、コード番号 6040、アメリカ土木学会規格、192? 年 ? 月製造
2 CARNEGIE 1911 ET IIIIIIIIIII 60 A ホーム上屋 アメリカ カーネギー社、1911 年 11 月製造、エドガー・トムソン工場製造、60LbS / yd、アメリカ土木学会規格
3 CARNEGIE 1914 ET I 45 A ホーム上屋 アメリカ カーネギー社、1914 年 1 月製造、エドガー・トムソン工場製造、45LbS / yd、アメリカ土木学会規格
4 KROLHUTA 1926 M □(9) ホーム上屋 ポーランド、クロレウスカ・フータ社、1926 年 9 月製造、ジーメンス・マルチン製鋼法
5 KROLHUTA 1927 M I ホーム上屋 ポーランド、クロレウスカ・フータ社、1927 年 1 月製造、ジーメンス・マルチン製鋼法
6 BARROW STEEL SEC166 1893. K.R.C. ホーム上屋 イギリス バーロウ社、セクション番号 166、1893 年製造、甲武鉄道発注
7 BARROW STEEL SEC166 1894. I.R.J. ホーム上屋 イギリス バーロウ社、セクション番号 166、1894 年製造、鉄道局発注
8 BARROW STEEL SEC166 1894. N.T.K. ホーム上屋 イギリス バーロウ社、セクション番号 166、1894 年製造、日本鉄道発注
9 6009 ILLINOIS STEEL Co SOUTH WKS V 1898 I.R.J ホーム上屋 60LbS / yd、アメリカ イリノイ製鋼会社、南工場、1898 年 5 月製造、鉄道作業局発注
10 G.H.H.1926 ホーム上屋 ドイツ グーテ・ホフヌングス製鉄所、1926 年製造

No.1

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

No.2

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

No.3

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

No.4

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

No.5

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

No.6

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

No.7

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

No.8

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

No.9

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

No.10

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

総評

冒頭でも触れた通り、西武池袋線では多くの駅改良工事により古レールはほとんど失われている状況である。そんな中でこの豊島園駅はしばらくはこの古レールのホーム上屋が残りそうな貴重な駅である。

同駅では古レールの量としてはそれほど多くはないことを考えると比較的多くの種類の刻印が観察可能ではあるが、それでも多種多様なメーカーの古レールを再利用してきた西武鉄道全体からすると一部に過ぎない。

近年盛んに行われている西武池袋線及び新宿線の高架化や改良工事などが本格的に始まる前にほぼ古レールの調査を実施できたので、追々紹介していきたい。もちろん、そもそもこのような調査を開始したのが数年前なのでそれ以前に失われているものは如何ともし難い。

最後に Rail Magazine 編集長はブログでは紹介していないもののご存知かも知れないが、今回紹介した豊島園駅では武蔵野鉄道時代の名残りと思われる敷地境界標を紹介したい。それはホームの練馬方の先端より確認可能である。画面両端にある赤いペンキが塗られたものがそれである。

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

お分かり頂けただろうか。まずは向かって左側から見ると六角柱のコンクリート製であり、線路に向いて『ム』との標記がある。ただ、これが本当に武蔵野鉄道のものという確かな根拠は掴んでいないが、場所や標記からして間違いないのではないかと勝手に確信している。

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

続いて右側であるが、こちらは同じく線路に向かって何か書かれているように見えなくもないが、私のカメラではこれ以上望遠撮影ができず確認不可であった。

西武鉄道豊島線【豊島園駅】古レール刻印

この敷地境界標についても情報をお持ちの方はコメント頂けると幸いである。Web ではなかなか武蔵野鉄道時代の敷地境界標を見かけないため、全くの見当違いの可能性も捨てきれない。ただ、正解かも知れないのでまずはご意見募集ということで紹介させて頂いた。

参考文献等


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