既に駅舎橋上化で変貌した駅の古レールの記憶。
2010/03/26 公開。
西武鉄道池袋線の江古田駅の開業は同線自体の開業から 7 年後の 1922 (大正 11) 年 11 月 1 日というゾロ目狙いの日であった。当初の駅の位置は現在と異なり、もう少し西の稲荷神社の辺りだったという。これはそこから程近い武蔵野高校への通学のために開業したからである。
というようなことを当報告書執筆時点で知ってしまったため、慌てて過去の航空写真を確認してみたが、『国土変遷アーカイブ』で最も古い終戦直後の米軍撮影のものでも既に現在地に駅があり、移転の時期は定かではない。ちなみに、その航空写真は以下の URL で確認可能である。
さらにこれも知らなかったことであるが、今回取り上げる西武鉄道の駅名は『えこだ』なのに対し、後年開業した都営大江戸線の新江古田駅は『えごた』であり、地名も『えごた』だそうである。ただ、このような違いの経緯は明らかではないとのことである。歴史とはかくも面白きものかな、と思う。
さらにこれは余談であるが、Google 日本語入力ではどちらの読みで入力しても『江古田』とである。さすがである。
話が逸れてしまった。江古田駅は今年すなわち 2010 (平成 22) 年 1 月 9 日より駅改良工事の結果より橋上駅舎の供用を開始している。この様子は把握出来ていないが、昨年の後半には工事が進んでいたのを目撃したため、現在では駅舎のみならずホーム上屋等もすっかり変貌していることだろう。
そう思えるひとつの理由として、隣の東長崎駅の古レール報告書でも触れたが、元々この江古田駅にあった待避設備が東長崎駅に移転となったことによるホーム関連の改良も行われたと推測されるからである。
このような駅改良工事等の最新の情報に疎い私は東長崎駅で古レール調査としては遅きに失してしまった(その他の多くの駅も同様である)が、この江古田駅では何とか間に合うことができた。
ただ、古レールの記録としては間に合ったが、駅の記録としては駅舎すら撮影していないのであまり役に立たないことを申し添えておきたい。そしてその古レールはホーム上屋と跨線橋にあった。
調査日:2008/05/04
同駅のホーム上屋の古レールも西武鉄道標準仕様とも言うべきやじろべえ型の柱による架構である。もう既にこのような古レールと黄色い電車の組み合わせは同駅では見ることができないのかも知れない。
ちなみに、この旧来のスタイルの駅名標も現在西武鉄道では新デザインのものへの交換が進んでいるようである。
その新デザインの駅名標はこのようなものである。それはさておき、この古レール架構はすっきりとして個人的には非常に好ましい光景である。『駅』といった雰囲気を強烈に醸し出している。
池袋方面ホームの池袋方先頭付近から古レールホーム上屋を見る。ひたすら『西武標準仕様』の古レール架構が続いている様子が分かる。奥に跨線橋が見えるが、現在は駅舎の橋上化により眺めは一変していることだろう。さらに画面右端の待避線も既に無いはずである。
反対の所沢方面ホームを池袋方より見る。こちらはホームの幅が狭いためか、古レール架構の幅も池袋方面ホームより狭くなっている。そしてやはり左側の待避線は過去のものとなっているだろう。
両方のホームを一度の望む。やはりこのような古レール架構によるホーム上屋は個人的にはしっくりくる鉄道の風景である。今はどのような光景だろうか。再訪しなければならない。
続いて跨線橋である。まずは池袋方面を望む。2 面 2 線を跨ぐ堂々たる規模である。建設年代は把握出来ていないが、この跨線橋はこの駅の風景に無くてはならない存在だったであろうが、今はこれも既になく、そこには橋上駅舎があるのだろう。
同じく跨線橋を所沢方面に望む。眺めがほとんど変わらない。つまりはシンメトリーな作りなのである。画面右側の駅舎付近では既に改良工事たけなわの状態である。
少々くどいが階段部である。こちらは池袋方面ホームより微妙に所沢方面を望んでいる。上の二枚の写真と代わり映えないが、敢えてここで取り上げたのは、自販機前のおいちゃんの頭上の黄色く光っている長方形のものである。
現地では気がつかなかったが写真で始めて気づいたがこれは看板である。かなり色褪せているが、拡大してみると『武蔵大学うんぬん』とあった。かなりの年代物かも知れない。
同大学のサイトによると大学としての開校は 1949 (昭和 24) 年 4 月ということである。まさかその当時からのものとは思えないが、もっとしっかり観察しておくべきであった。
跨線橋そのものに戻る。線路を跨いでいる通路部分の外観である。後年の改修を受けているのかは定かではないが、概ねの建具がアルミサッシとなっている中で、一番手前には木製の窓枠が残されている。
階段部周辺である。手すりも後年取り替えられたものと思われるため、やはりこの跨線橋は古レールの骨格以外は後年大幅な改修を施されているかも知れない。また、架線もぎりぎりの高さで支持されていることが分かる。
ところで、池袋線の電化はこの江古田駅の開業と同時である。仮に開業当初からこの跨線橋が存在していたとすると、このぎりぎりの架線高さは当時は架線支持方式も異なっていただろうから問題なかったのかも知れない。
跨線橋の裏側である。床版はコンクリートであるが、最近とは異なり細かい型枠の跡が残されている。また、ホーム上には柱だけでなく、豪快にブレースも設けられ注意喚起のトラテープが貼られている。これもある意味時代を感じされるものである。また、一部には通常の形鋼(恐らく C チャン背中合わせ)らしき部材も散見される。ただ、リベットが打ち込まれているので建設当初からのものであろう。
ところで、この写真ではもう一つ注目して頂きたい個所がある。それは蛍光灯が取り付けられているパネルである。このようなパネルはこれまであまりお目にかかったことがないが、後年設置のものだろうか。
そのパネルを見る。蛍光灯以外にも様々な盤が取り付けられている。パネル自体は木製のようにも見えるが詳細は不明である。
次に振り返ると階段下には年代物の倉庫を発見した。これには正直驚いた。私は小学校及び中学校を木造駅舎で過ごしたが、それを彷彿とさせるようなアイテムを都心でお目にかかるとは思っていなかった。
残念ながらこの倉庫も跨線橋もろとも過去のものとなってしまったことだろう。
今回発見した刻印は以下の通り。さすが西武池袋線とでも言おうか、内容は豊富であった。ただ、カメラの設定を誤ったまま撮影したようでいつもにも増してピンボケの大量生産となってしまった。お見苦しい点をご容赦願いたい。
No | 刻印 | 場所 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | (S) 60 A 1927 IIIIIIIII | ホーム上屋 | 官営八幡製鉄、60LbS / yd、1927 年 9 月製造 |
2 | (S) 60 A 1928 I | 跨線橋 | 官営八幡製鉄、60LbS / yd、1928 年 1 月製造 |
3 | (S) 60 A 1928 IIIIIIII | ホーム上屋 | 官営八幡製鉄、60LbS / yd、1928 年 8 月製造 |
4 | (S) 60 A 1928 IIIIIIIIIIII | ホーム上屋 | 官営八幡製鉄、60LbS / yd、1928 年 12 月製造 |
5 | (S) 60 A 1929 II | ホーム上屋 | 官営八幡製鉄、60LbS / yd、1929 年 2 月製造 |
6 | 37 (S) 2603 IIII OH | ホーム上屋 | 37kg / m、日本製鉄、皇紀 2603 (西暦 1942) 年 4 月製造、平炉製鋼法 |
7 | OH TENNESSEE-6040-ASCE-12-1921 | ホーム上屋・跨線橋 | 平炉製鋼法、アメリカ US スチール・テネシー社、コード番号 6040、アメリカ土木学会規格、1921 年 12 月製造 |
8 | OH TENNESSEE-6040-ASCE-?-1924 | ホーム上屋 | 平炉製鋼法、アメリカ US スチール・テネシー社、コード番号 6040、アメリカ土木学会規格、1924 年 ? 月製造 |
9 | S&M-60-ASCE-1925 | ホーム上屋 | ベルギー サンプルモビール社、60LbS / yd、アメリカ土木学会規格、1925 年製造 |
10 | R △ .9.1925.60LBS A.S.C.E 6040 | ホーム上屋 | レオン工場、ベルギー プロビデンス社、925 年 9 月製造、60LbS / yd、アメリカ土木学会規格コード番号 6040 |
11 | KROLHUTA 1928 M □(11) | ホーム上屋 | ポーランド、クロレウスカ・フータ社、1928 年 11 月製造、ジーメンス・マルチン製鋼法 |
12 | KROLHUTA 1927 M -I | ホーム上屋 | ポーランド、クロレウスカ・フータ社、1927 年 1 月製造、ジーメンス・マルチン製鋼法 |
13 | H-W ENDEL-X 1924 60 LBS-ASCE T-B ← | ホーム上屋 | フランス ウェンデル社、1924 年 10 月製造、60LbS / yd、アメリカ土木学会規格、トーマス転炉・ベッセマー転炉製鋼法(詳細不明) |
14 | H-W-60LBS-ASCE-XI-1925 | ホーム上屋 | フランス ウェンデル社、1925 年 11 月製造、60LbS / yd、アメリカ土木学会規格 |
15 | G.H.H.1926 | ホーム上屋 | ドイツ グーテ・ホフヌングス製鉄所、1926 年製造 ※『1926』の 1 及び 2 の刻印が微妙に異なる 2 本を掲載 |
16 | CAMMELL・S STEEL W 1896 SEC131 S T K | ホーム上屋 | イギリス キャンメル社、1896 年製造、セクション番号 131、山陽鉄道発注 |
※上下の写真で『1』、『2』のフォントの違いに注目(塗装の影響でそう見えるだけかも知れない)
当報告書執筆時には橋上駅舎化に伴ない既にこれらの古レールは存在していないと思われるため(未確認)、自分なりに貴重な記録だとは思うが、こうもピンボケだったとはトホホである。
しかし、それでも他の多くの古レール研究家に混じって当報告書も、『記録』として少しでも役に立つと思いたい。東長崎駅や中村橋駅の古レールのように第三の人生を歩むのか確認を行うため再訪するつもりである。その結果も追って報告したい。
また、再訪の際には恐らくムダ足になるとは思うが、開業当時の駅の位置の現状も確認しようと考えている。どなたか当時の情報や写真等をお持ちの方はお知らせ頂けると幸いである。
毎度のことであるが現地を訪れるたび、報告書を執筆するために宿題が増えていく。うれしい悲鳴または贅沢な悩みと捉えたい。