第三の人生を歩む古レール。
2010/03/10 公開。
古レールの宝庫として名を馳せていた西武鉄道池袋線の椎名町駅に続く第二弾である。今回取り上げる東長崎駅は同線と同時に 1915 (大正 4) 年 4 月 15 日開業した長い歴史を持つ駅である。なお、九州(福岡)出身の私としては東京都心にありながらちょっと気になる駅名でもある。
同駅は 2007 (平成 19) 年 3 月より新駅舎の供用を開始しており、それまで永く親しまれたであろう駅舎は既にない。また合わせてこれまでは隣の江古田駅が担っていた列車交換を同駅へ移転されたこともありホームも含めてすっかり新しくなっている。
恐らく旧駅舎及び旧ホーム上屋には古レールの架構が存在した可能性が大きいが、数年前より何度か同線を利用していたものの当時は古レール観察を行っていなかったのが悔やまれる。なお、以下のサイトでは駅舎改良工事中の様子を紹介しているのでこちらもご覧頂きたい。
こちらに掲載されている写真によると、今はなき跨線橋が古レールによるものに見える。残念でならない。と、これでは当報告書を執筆している意味がまるで分からないことと思うが、さすがは冒頭で触れた通り古レール業界(?!)で一目置かれた路線である。駅改良後も何と古レールを残しているのである。しかも美しくお色直しまでされ、案内サイン表示を支える支柱として。
従って、まず線路として、そして駅施設の架構としてさらにはサイン支柱として第三の人生を歩む古レールをご覧頂きたい。
調査日:2009/01/25
まずは橋上駅舎となったため二階に出来た改札を入ってすぐのコンコース中央のサイン支柱として蘇った古レールである。ただ、暗いグレーに再塗装されており、また鉛直部のほとんどがカバーで覆われているため、歩いている時の通常の視界だけ見ているとそうとは気がつかない方も多いかも知れない。
架構としては屋根等の支えるべき重量物がないこともあり、西武鉄道標準仕様とも言うべきやじろべえ型の柱のみである。西武鉄道の路線の古レールを調査された方にとってはおなじみのスタイルである。それが二対合わさって四方向へのサインを吊り下げる支柱となっているのである。
そして、古レールはもう一箇所にも存在している。それはホームへのエスカレーターを降りきった場所に立つこれまたサイン支柱である。こちらは新しいホーム上屋(というより駅舎)の柱と雰囲気を合わせるためか明るいグレーに再塗装されている。
こちらも通常サインそのものに視線が注がれると思うので、古レールとは気がつかない方もいらっしゃるだろう。こちらはかつてホーム上屋を支え続けたゆかりの場所に多少の移動はあったかも知れないが、そのまま残されたことになる。
今回発見した刻印は以下の通り。保存用に状態の良いものが選ばれたのかも知れないが、古レールとしてはかなり新しい年代のものであった。
No | 刻印 | 場所 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | 37. A. (S). 1955. IIIIII. O.H. | 改札内コンコース | 37kg / m、八幡製鉄 1955 年 6 月製造、平炉製鋼法 |
2 | 37 A (S) 1952 IIIIIIIIIII. OH | ホーム | 37kg / m、八幡製鉄 1952 年 11 月製造、平炉製鋼法 |
近年多くの鉄道事業者及び路線の駅舎の老朽化対策や踏切の解消を目的とした高架化に伴なう改良工事等で古レールのホーム上屋や跨線橋は次第に姿を消しつつある。そして往々にして古レールは産業廃棄物として処理されていることだろう。
そんな中今回取り上げたようにほんの僅かとは言え、古レールそのものを保存活用している例はどちらかと言えば稀ではないだろうか。西武鉄道の心意気に拍手を送りたい。
この東長崎駅の古レールの存在については実は全くの偶然で発見しただけに個人的にはなお嬉しい。私の場合通常古レールの存在の有無は各駅停車の列車の先頭付近に乗って各駅のホームを凝視するという思い切りアナログな方法で確認している。そのため、その方法では同駅の古レールは見逃していたのである。しかし、隣の江古田駅での古レール調査を終えた後に、散歩がてらこの駅まで歩いてきて改札を入ってすぐのコンコースで初めて気がつき、その後ホームのものも気がついたのである。
Web でなかなか古レールの存在を事前に調べるのは意外と難しい(と感じている)ため、これは嬉しい発見であった。これを機にもっと多角的に現地調査を行わないと見逃してしまっている駅もあるかも知れないと心を新たにした。
ところで、この東長崎駅では最近の『エコ』ブームを受けてか、新駅舎に太陽光発電システムを導入しているようである。古レールのサイン支柱のそばの壁には現在の発電量等を示すパネルが提示されていた。駅もハイテクになったものである。