JR の駅数に含まれない駅の古レール。
2009/08/22 公開。
和歌山県の県庁所在地である和歌山市周辺の鉄道網の変遷は大変複雑で、様々な私鉄が競って市内への乗り入れを画策した上に各社の吸収合併さらには国有化も絡み、ここでは取りあげないが我々一般ぴーぽーには気が遠くなりそうである。
本報告書で取りあげる和歌山市駅もここでは JR 西日本紀勢本線としているが、それはあくまでも同線に乗車して訪れ、同線用のホームしか調査を実施できなかったためである。
同駅は南海電鉄の手により開業し、現在ももちろん同社の管理駅であり、JR はそこに乗り入れているのである。もう少し正確に言えば、南海電鉄により開業後、紀和鉄道が乗り入れ、紀和鉄道は関西鉄道に吸収合併され、関西鉄道は国有化され現在に至っているのである。
また、同駅からの JR 紀勢本線を 1.0km 進んだ分界点までの線路も南海電鉄の所有だそうである。このような背景から同駅では JR は全くの店子であり、JR 用のホームは南海電鉄のホームと一面を共有し間に鉄柵があるに過ぎない。そのため全くと言っていいほど JR の雰囲気は存在しない駅なのである。そして JR の駅数には含まれない駅なのである。
同駅の古レールの調査は紀州鉄道の廃止区間の現地調査に和歌山を訪れた際に立ち寄ったものである。興味のある方は以下のリンクよりご覧頂きたい。
また、現地での調査は紀勢本線の電車が紀勢本線を和歌山駅から訪れ折り返し和歌山駅に向けて出発するまでのわずかな時間で行ったため、前述の通り JR のホーム部分のみの調査であり、報告書とは名ばかりと言っても過言ではないが首都圏在住の身としてはなかなか再訪が難しいため、敢えてひとまず公開とさせて頂いた。
調査日:2007/08/04
同駅の古レールは三面全てのホーム上屋に用いられており、その架構は非常に独特な形態の美しいものである。写真は JR 用のホームから南海用のホームを遠望したものである。
また、和歌山駅方のホーム端部では同様のデザインではあるが柱が二本の形態となりこれも各ホーム共通のようである。何故この部分だけ架構が異なるかについて若干考察を試みると、やはりホーム延伸ではないだろうか。ただ写真で見られるホームの切り替えはポイント部の車両建築限界によるものと思われ、確証はない。ただ、強度は増すが材料をより多く必要とする形態としたのだろうか。古レールの調達には不自由しないからかも知れない。
基本的な架構としてはホーム中央に一本足の柱が建ち、やじろべえのように梁が伸び、その梁はところどころ三面のホームで接続されており、非常にダイナミックな印象を受ける(写真中央のひときわ太い鉄骨は後年設置と思われる型鋼である)。
和歌山駅方のホーム端部では前述の通り上の写真とは異なり柱が二本となり、同様のコンセプトではあるがまた一味違った形態となっている。
いずれの架構もトラス部分の斜材が織りなす構造美を持っていると言え、目を見張るものがある。ところで柱基部は少々装飾のあるコンクリートのようなもので覆われているが、最下段の出っ張りは何のためにあるのか不明である。単純に補強であろうか。
今回発見した刻印は以下の通り。時間の制約等からわずかな調査のみとなったのは冒頭に述べた通りである。実際には他にも存在するものと思われる。
No | 刻印 | 場所 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | CARNEGIE 1908 ET IIIIIII 60 | ホーム上屋 | 60kg / m、アメリカ カーネギー社 1908 年 7 月製造 |
よくあるパターンではあるが同駅の古レールも事前に情報を得ていなかったため、現地調査用の時間を確保しておらず調査とは言えないものとなってしまったのが残念であり、ぜひ再訪したい駅である。よく考えてみると南海電鉄は純粋な現存する私鉄として最も歴史の長い鉄道事業者であり、多くの駅で古レールが使用されているようである。ただこのような大きな駅にも残されているとは思ってもみなかった。
ただ、独特のデザインとそれによるホームの雰囲気は是非今後も末永く残してほしい貴重なものだと思う。
本報告書では全くもって古レール情報としては役に立たないのでお詫びに日頃お世話になっているサイトによる紹介をご紹介したい。
ただ、同サイトでの紹介でも古レールの刻印はあまり存在しなかったようであるので、本報告書の役立たず加減も多少和らいだ気がしている。
また、JR としての同駅が所属する紀勢本線の和歌山~和歌山市間について前面展望動画を撮影しているのでご覧頂けると幸いである。現在は高架区間となった紀和駅周辺の高架化前の懐かしい車窓風景をお楽しみ頂きたい。