生まれ変わった跨線橋の古レール。
2011/11/21 Photosynth によるパノラマを追加しました。
2011/08/15 公開。
JR 東日本山手線駒込駅はふたつ隣の駅である大塚駅から遅れること 7 年後の 1910 (明治 43) 年 11 月 15 日の開業である。本報告書公開時点でちょうど 100 年が経過している。私のように都心に住んでいると言っても山手線の北半分にあまり馴染みが無い者にとっては、訪れることもまずなく乗換駅でもないことから少々マイナーな印象は拭えない。
しかし、駅名にもなっている駒込という地名の由来については Wikipedia によると以下のような記述もあり、ものすごい歴史を持っているようである。
駒込は日本武尊が命名者との説があり、ルーツは日本の歴史の原点までさかのぼる。
日本史には明るくないため、ここであっという間に話を鉄道に戻す。駒込駅周辺は掘割区間となっており、モーゼの十戒よろしく両側にそそり立つ法面を尻目に気持ちの良い直線で駆け抜けている。ではなぜこの辺りが掘割になっているかというと、東北本線との接続駅である田端駅から池袋へ向かう区間が武蔵野台地を貫いているからである。
つまり、武蔵野台地の東端の縁に敷かれた東北本線の路盤との高さを合わせようとすると必然的に武蔵野台地を削って掘割として線路を敷かざるを得なかったのである。従って、明治末期の開業時以来ずっと掘割である。開業当時と思われる頃に撮影された写真でも掘割の両脇の様子は現在からは想像できないような自然を感じさせる風景ではあるものの、直線の掘割区間の雰囲気そのものは変わっていない。
出展:松平乘昌編『図説 日本鉄道会社の歴史』※管理人一部加工
それは地形図からも明瞭に見て取れる。『豊島区』の表記のすぐ右あたりが駒込駅である。そのあたりの直線は武蔵野台地を貫く掘割となっており、台地の東端の裾を走る東北本線と接続している様子が分かる。
出展:国土地理院 1/25,000 地形図「東京西部」、「東京首部」(2011/08/13 現在) ※管理人一部加工
そんな、100 年前から掘割の中にある駒込駅ではホーム上屋及び跨線橋に古レールが使用されている。ここで、その古レールに触れる前に跨線橋について少しだけ触れたい。
まずは 1947 (昭和 22) 年の終戦直後に米軍によって撮影された航空写真を見てみると、駅の様子は基本的には現在とは変わらないものの、北口駅舎がかなり小さいことやそもそも南口が存在していないように見えることなどの違いも見て取れる。
なお、駅の北側に見える大きな建物は現在豊島区立駒込図書館となっている場所だが、かつての都電の駒込車庫である。何気にトラバーサーを備えていたりと興味深いが、全く調査を行っていないので詳細を割愛したい。
出展:goo 古地図 ※管理人一部加工
続いて 1963 (昭和 38) 撮影の航空写真を見てみる。昭和 22 年当時と比較すると、まず全体的に家屋が立ち並び戦争終結からの復興が進んでいる様子が伺える。そして駒込駅については南口が広場と共に設けられ、北口とを繋ぐ跨線橋が登場していることが分かる。
これらの写真からこの跨線橋は昭和 20 ~ 30 年代に竣工したものということになる。現在も同じ位置に跨線橋があるため、恐らくは竣工当時のものではないかと推測される。ただ、その判断は当報告書で紹介する内容を以て皆さんも推測してみて頂きたい。
調査日:2009/08/13
ホーム上屋の古レール架構を田端方面に向かって見る。柱 2 本タイプでオーソドックスなスタイルである。また少々分かりづらいが長辺方向の梁が無い。つまり、古レール架構は短辺方向のみに存在している。ただ、注意して頂きたいのはこの 1 スパン以降は架構が異なり柱列が見えていない点である。
もう少し巣鴨方より同じ方向を望む。撮影地点には掘割の上にある駅舎へと続くエスカレーターがあり古レールのホーム上屋はここまでである。そして柱 2 本タイプの架構は 4 スパンのみであることが分かる。
今度は逆に巣鴨方面を望む。掘割の上に右側に北口、左側に南口のそれぞれの駅舎が見える。このカットでは掘割の雰囲気が伺える。古レール架構としては前述の通り、柱 2 本タイプで長辺方向の梁が無いため、いわゆる古レールによる門型ラーメンが自立し屋根材で各スパンをつないでいる様子が分かる。
屋根を見る。スパン間の剛性は屋根材に設けられたブレース(筋交い)により確保している。屋根にも古レールが使われているように見えるが、これは通常の型鋼(チャンネル)である。
次に柱 2 本タイプの架構の先の柱が見えなかった部分の架構を見る。今度は柱 1 本タイプとなりやじろべえスタイルに変化している。なぜこのように異なる架構が存在するのかは明確な情報を持ち合わせていない。ありがちな理由のひとつとして後年のホーム延伸に伴うものという場合もあるが、今回の場合そうだとは言い切れない。
それは写真中央に写っているホーム上の建物の存在が関係している。この建物は外観からしてもちろん近年建てられたと思われるが、以前より同様の場所にこのような何らかの建物があったと仮定すると、それに干渉しないようにホーム上屋の柱配置が決定されることも考えられるのである。それは逆に高架駅などの階段部分も同様である。
そこで、全くもって根拠の薄い推測を以下のように纏めてみた。
上の写真をさらに引いて同じ巣鴨方面を望む。そのやじろべえタイプの範囲は柱 2 本タイプより遥かに長く続いている。このことも前述の根拠のひとつと考えている。古レールの刻印調査の観点からは柱にカバーが取り付けられているのはかなり残念であるが、安全性向上のためだろうからやむを得まい。もっとも刻印調査を行いやすい箇所なのだが...
今度は逆に田端方面を望む。と言っても実際のところ久しぶりに貨物列車を見たのでそれを何とかして写りこませただけである。
このやじろべえタイプの部分の屋根の構造は柱 2 本タイプの部分と同一のようである。後年屋根材のみ全体的に改修された可能性は否定できないが、このことも前述の根拠のひとつである。ただ、細かく見るとこちらはブレースが無いことが分かる。
では、このやじろべえが最後まで続くかというとそうではない。同じ柱 1 本タイプではあるが、全く異なる架構が現れる。これまでの架構と根本的に異なる点として曲線部分が無いことが挙げられる。また屋根の勾配もこれまでと逆に中央が低い。つまり雨水が中央に集まるようになっている。このことからこの部分は竣工年代も異なることが推測される。しかし、その境界部分の写真を取り忘れたのでそれについては別途後述したい。
そして、この架構が最後のパターンかと思いきや、さにあらず。さらに今度は型鋼による架構が現れる。それはこのように既存の架構とは別に後年のホーム上屋延伸による結果と考えられる。
直線により構成された古レール架構部分を拡大して望む。曲げ加工を最小限に留める工夫の結果と考えられる。そして写真では小さいが奥の部分で先ほどの屋根の勾配が逆パターンのやじろべえとの境目が全く連続していないことが見て取れる。これが後年のホーム上屋延伸の根拠になるのではないかと考えている。
続いて冒頭にて少し触れた跨線橋である。奥には道路橋である駒込橋が写っているので位置関係が分かると思うが、右側が北口で左側が南口である。そして黒く塗られた部材が古レールである。
もう少し近づいてみる。古レール跨線橋ではおなじみのトラスだがなにやらお洒落な色使いになっている。しかしこれでもれっきとした古レール構造物である。そして、窓の並びからこの跨線橋全体が画面奥(南口)へ向かって傾斜しているのも分かる。これもちょっと珍しい。
南口側の橋脚を見る。跨線部側のみに頬杖が設けられている。個人的にはこのような架構はあまり見かけないような気がする。見落としているだけかも知れないが。
同様に北口側の橋脚を見る。頬杖については左端のプレートの形状から後年追加されたものではなく、竣工時からのものと思われる。書く部材の接合にはリベットが用いられているが、これは現在のようにボルトが一般化し始めた昭和 40 年代以前までのポピュラーな接合方式である。従って、冒頭で触れた通りこの跨線橋は竣工当時のままの架構を今に残していると考えられる。コンクリート床版も補修された可能性はあるものの基本的には当時のものではないだろうか。
ところで、古レールを黒く塗る例もあまり見かけないため、ちょっと新鮮な印象である。
跨線橋の西側にある道路橋の駒込橋より望む。こちらは窓が少ないため少々わかりづらいが、それでも左端の窓と屋根部材とを比べると傾斜していることが分かる。つまり、橋脚である鉛直部の古レールと梁や桁に相当する水平部材が微妙に直角ではないということになる。
上の写真でその接合部を拡大しているが、そこだけを見ると一見直角のように見えるが実はそうではなかったのである。
引き続き角度を変えて駒込橋より望む。黒く塗られた古レール架構とコンクリート床版以外は全面的に改修されたようである。跨線部には明かり取りまで設けられ独特の形状となっている。そしてその明かり取りの開口部からもこの跨線橋全体が傾斜していることが見て取れる。
なお、同じような写真が 2 枚並ぶが、下の画像は Photosynth によるパノラマである。マウスでドラッグして角度を(多少)変えたりホイールでズームなども(多少)出来るのでご覧頂きたい。私のカメラでは北口と南口を同時にフレームに収めることが不可能であったため、このようなパノラマも作成した。
同じく駒込橋より北口側の橋脚を見る。古レール跨線橋の橋脚はかくも華奢であり、それでいて充分機能しており無駄のない架構なんだとつくづく思う。そもそも古レール自体が再利用であり、とことん無駄がない。ところで、これもなかなか把握出来ないが基礎はどのような構造なのだろうか。杭無し独立フーチングだろうか。
跨線橋内部である。北口側から南口側を見る。何というか気にして見ない限り黒い部材が古レールとはとても思えないほどお洒落である。内部から見ると窓やポスターなど水平を意識した直線が視界により多く入ってくるため、全体の傾斜がさらにはっきり分かる。と言うより歩けばいやでも体感する。
続けて逆に南口側から北口側を見る。こうやって見ると結構な傾斜である。それにしてもここまでの改修を行いながらよくぞ古レール架構を残したものである。どのような経緯があったかは不明だが歴史的構造物が延命処置を受けたと考えれば素晴らしいことである。
中央付近にある明かり取りを見る。ここを見るまでは左右の柱をつなぐ部材は古レールで無くなったのかと思ったが、どっこいご覧のとおり古レールのままであった。素晴らしい。架構そのものはオリジナルの古レールを最大限残した上で意匠を全面的にリフレッシュした珍しい例ではないだろうか。この明かり取りのおかげもあって非常に明るい雰囲気の跨線橋に仕上がっており、利用者にも大変よろしいと思う。ただ、内部からの刻印調査はほとんど無理となってしまったのが個人的には残念である。
今回発見した刻印は以下の通り。首都圏に残る古レール構造物は概ね度重なる塗装により刻印調査が困難なものが多い。ここ駒込駅でもそれは例外ではない。これまで基本的に判読不可能なものについては掲載を見送っていたが、不明なものは不明として掲載していくのでご理解頂きたい。
No | 刻印 | 場所 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | CARNEGIE 1905 ET (確認不可) | ホーム上屋 | アメリカ カーネギー社、1905 年製造 |
2 | CARNEGIE 1905 ET I N T K | ホーム上屋 | アメリカ カーネギー社、1905 年 1 月製造、日本鉄道発注 |
3 | 判読不可 | ホーム上屋 | ※判読不可 |
4 | 判読不可 | ホーム上屋 | ※判読不可 |
5 | 判読不可 | ホーム上屋 | ※判読不可 |
6 | CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED STEEL (不明瞭) | ホーム上屋 | イギリス キャンメル社、強化鉄(※商品名) |
7 | CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED (不明瞭) | ホーム上屋 | イギリス キャンメル社、強化鉄(※商品名) |
8 | (確認不可) 1892 I R J | ホーム上屋 | 1892 年製造、鉄道局発注 |
9 | KRUPP.1885.N.T.K. | ホーム上屋 | ドイツ クルップ社、1885 年製造、日本鉄道発注 |
10 | 判読不可 | ホーム上屋 | ※判読不可 |
11 | UNION D 1886 N.T.K. | ホーム上屋 | ドイツ ウニオン社、1886 年製造、日本鉄道発注 |
12 | CARNEGIE 1900 ET IIIIII 工 | ホーム上屋 | アメリカ カーネギー社、1900 年 6 月製造、エドガー・トムソン工場製造、官営鉄道発注 |
13 | UNION D 1886 N.T.K. | ホーム上屋 | ドイツ ウニオン社、1886 年製造、日本鉄道発注 |
14 | 判読不可 | ホーム上屋 | ※判読不可 CAMMEL ? |
15 | (S) 75 A 1925 I | ホーム上屋 | 75LbS / yd 第一種、官営八幡製鉄、1925 年 1 月製造 |
16 | 判読不可 | ホーム上屋 | ※判読不可 |
17 | CARNEGIE 1905 ET (不明瞭) | ホーム上屋 | アメリカ カーネギー社、1905 年製造 |
18 | 37 (S) 1953 IIIIIIIIIIII (確認不可) | ホーム上屋 | 37kg / m、八幡製鉄、1953 年 12 月製造 |
19 | (S) 75 A 1925 (確認不可) | ホーム上屋 | 75LbS / yd 第一種、官営八幡製鉄、1925 年製造 |
現地調査から丸二年が経過してようやく報告書として紹介することが出来た。どんだけ遅筆なんだと我ながら呆れる。真夏の真っ只中に終日古レール調査を行ったために、ガッツリ日焼けしたのを今でも覚えている。
今回紹介した駒込駅は冒頭でも触れた通りなかなか日常生活の中で利用しない駅ではあるが、実は山手線が環状線へと変貌するための重要な布石でもあった田端~池袋間に位置する歴史的な駅である。近年大規模な改修が駅全体で行われたのに合わせて今回取り上げた古レール跨線橋もリニューアルされたようである。しかし、古レール架構そのものはしっかりと残されたのが嬉しい。これで当分の間は鑑賞することが可能であるため、みなさんもこの新旧入り交じる独特の跨線橋をぜひ現地でご覧頂きたい。
その山手線は現在ただ一箇所を除き全く踏切が無い(山手貨物線を除く)。これはたゆまない努力の結果であるが、その踏切はこの駒込駅から西へ 400m ほど進んだ場所にある。『第二中里踏切』と呼ばれる踏切である。
また、その踏切より西の田端駅までの区間はこれまた数少ない山手線の旧線の名残りをわずかに残す興味深い区間でもある。これらについても現地調査済みであるので、いずれ別途紹介したい。