古レールに『逢いましょう』。
2009/07/08 記述を追記しました。
2009/06/28 動画コンテンツを追加しました。
2008/09/30 公開。
1910 (明治 43) 年 6 月 25 日開業の同駅は当報告書を執筆している 2008 年 9 月からするとあと二年足らずで百周年を迎える歴史ある駅である。ちなみに隣の新橋駅の約半年後の開業であり、開業当時の読みがなは『いうらくちゃう』であった。
しかし、その新橋駅とは異なり、開業当初より東海道本線に所属でありながら列車線である東海道本線そのものは停車せず、現在の京浜東北線に相当する電車線のみの停車場であった。山手線は後の開通である。
開業年月が近いことや、立地条件も似ているということもあろうが、高架上のホームの雰囲気は両駅で似ている。そして、実はそれは本報告書の調査対象であるホーム上屋の古レールにしても然りなのである。ただ、古レールの使用はずっと後年であるため、ホーム上屋改修時期が近かったか同時施工だったのであろう。
では、有楽町駅の古レールである。
調査日:2007/04/14、2008/04/19、2008/05/18
はっきり言ってしまうと、冒頭で述べた通り当駅での古レールの架構は新橋駅と同一である。下の写真は 1、2 番線を新橋駅方向に向かって撮影したものである。新橋駅と比較してみて欲しい。
1937 (昭和 12) 年発行の『鐡道工学』では同駅のホーム上屋の架構を以下の図で紹介している。上の写真と見比べて欲しい。見事にそのまま残されていることが分かる。
同ホームを逆に東京方面に向かって見る。ここでも新橋駅と同じく昇降階段の屋根部分は明かり取りのスレートとなっている。
ところで、当駅のホームは上の写真で示した 1、2 番線のものが最も古いものである。そもそも、当駅を含む高架橋が最初に完成した時の線路位置なのである。これより海側(東側)は後年増設されたものであり、その最終兵器が新幹線の線路なのである。
その証拠というわけではないが、3、4 番線を東京方面に向かってみたものである。このホームの上屋は型鋼を用いた直線で構成された、明らかに古レール利用の時代の後の形態という雰囲気のものである。また、画面一番右の一段高い線路は新幹線である。
同ホームを新橋方面に見る。右側のホームが古レールが利用されている 1、2 番線のホームである。実は、わざわざこの写真を載せたのには訳がある。一見全てが型鋼に見えるこのホーム上屋にも驚くべきことに古レールが用いられていたのである。
それは、1、2 番線同様というより概ね古レールの利用形態として一般的とも言えるが、短辺及び長辺方向の小梁に相当する個所である。
その架構を拡大して見る。写真では少々分かり辛いかも知れないが特に画面の横(短辺)方向の鋼材の断面が古レールのそれと分かる。手前側が上下引っくり返っており、奥側は逆に車輪が当たる面が上になっている。
今回発見した刻印は以下の通り。同駅での古レールへの塗装もやはり新橋駅同様厚く、刻印の判読は困難を伴う。また、以下に取り上げた以外にもさらに判読が困難なものが散見された。
上述の 3、4 番線の比較的新しいと思われるホーム上屋の古レールについては、刻印を発見することができなかった。従って以下の刻印は全て 1、2 番線のホーム上屋のものである。
No | 刻印 | 場所 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | UNION D 1887 N.T.K. | ホーム上屋 | ドイツ ウニオン社 1887 年製造 日本鉄道(?)発注 |
2 | UNION D 1885 ??? | ホーム上屋 | ドイツ ウニオン社 1885 年製造 ??? |
3 | UNION D 188? N.T.K. | ホーム上屋 | ドイツ ウニオン社 188? 年製造 日本鉄道(?)発注 |
4 | CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED STEEL 1895.SEC??? (以降確認不可) | ホーム上屋 | イギリス キャンメル社 強化鉄(※商品名) 1895 年製造 セクション番号 ??? |
5 | CAMMELL SHEFFIELD TOUGHENED STEEL ?.1896.S??? (以降確認不可) | ホーム上屋 | イギリス キャンメル社 強化鉄(※商品名) 1886 年製造 ??? |
6 | CAMMELL・S STEEL W 4 1896.S.T.K (以降確認不可) | ホーム上屋 | イギリス キャンメル社 強化鉄(※商品名) (W 4 意味不明) 1896 年製造 ??? |
冒頭で紹介したような比較的近年設置されたと考えられるホーム上屋にも古レールが利用されているのは新発見であった。これまでは古レールのホーム上屋とは概ね以下のような特徴を持つとの印象を持っていたからである。
従って、列車の車窓からの事前確認でホーム上屋の古レールを確認するときにはこれらの特徴を捉えることを第一としていたのである。そのため、今回のような例があるということはこれまでに多くの見逃しがあった可能性が高くなってしまった。これからは見方を改める必要がある。
なお、同駅を含む高架橋のうち最も西側(山手線の内側)にあるものは煉瓦造の連続アーチ高架橋であり、通称『新永間市街高架線』と呼ばれるもので、1907 (明治 40) 年 9 月に建設されたものである。
当駅直下のアーチ下の一部は以前車道であったが、以下の写真のように当駅東側の再開発に伴い歩道化されたため、間近で鑑賞可能である。
内部より上の写真の撮影位置方向を見る。百年を経てなお現代の首都圏の鉄道を支えている煉瓦構造物である。あの関東大震災を耐えたのである。
この部分の正式名称は『有楽町中央口架道橋』とのことである。0K 803M 85 とは東京駅からの距離と思われる。ところで、そうだとすると東京起点からの距離となるが、何線の起点としてなのだろうか。やはり、東海道線か。
基礎部である。
上の写真に写っているプレートを拡大したもので、地下約 20m に東京電力の管路が埋設されているとのことである。『竣功年月 平成 6 年 5 月』とある。都会の地下はいろいろと忙しい。
再び煉瓦アーチであるが、粋なランプが取り付けられている。いつからあるのだろうか。ちなみに、光っているのを見たことがない。是非見てみたい。
開業当日の同駅の写真である。現在駅の雰囲気は想像できよう。手前が空き地であるのに驚かされる。そして、この煉瓦アーチ橋が今日もしっかりと残っているのである。上の写真のランプは存在しないように見えるが。
出展:開業当日の有楽町駅『図説 駅の歴史 - 東京のターミナル』 ※管理人一部加工
開業から 13 年後に発生した関東大震災時の被災状況である。壊滅状態と言えるだろう。地震そのものよりも、結局火災でこうなってしまったのである。現在の 1、2 番線であろうか。そうだとすると当報告書の最初の写真と同じホームであるが、撮影位置はかなり東京寄りとなる。
よくぞ復興したものだ。先人の苦労を垣間見る思いがする。
出展:土木学会編『関東大地震震害調査報告掲載写真』 第二巻 鉄道・軌道の部 ※管理人一部加工
また、同駅を含めた区間の前面展望動画を京浜東北線南行電車より共同撮影者と共に撮影したのであわせてご覧頂きたい。