汽笛一聲新橋を。
2009/07/08 記述を追記しました。
2009/06/28 動画コンテンツを追加しました。
2008/08/27 公開。
新橋駅。1909 (明治 42) 年の開業時の駅名は『烏森』であった。今でも『烏森口』として改札口にその名を残している。広く知られていることであるが、現在の同駅名を名乗る初代新橋駅は現在再開発されて高層ビルの立ち並ぶ汐留にあった。
汐留の地にあった初代新橋駅こそ 1872 (明治 5) 年に我が国で最初に新橋横浜間に開業した鉄道路線の新橋駅なのである。その後同駅は『汐留』と改称し、旅客駅の座を現在の新橋駅に譲った上で貨物駅として再出発となったのである。さらにその汐留貨物駅も廃止となり、言葉は悪いかも知れないが我が国の鉄道史の聖地は無機質な高層ビル群に姿を変えたしまったのである。
なお、その汐留の高層ビル群の一角に初代新橋駅のレプリカが当時の位置に建てられており、駅舎とプラットホームの当時の双頭レールの一部が展示されている。さらにそこには発掘により発見された当時の本物の階段やプラットホームの一部の遺構も見ることが可能となっている。
本報告書では、当然であるが現在の新橋駅について古レールの調査を実施したものである。
調査日:2007/04/04、2008/05/18
実際に都心で普段利用している駅で目にする光景は、どんなものでも見慣れてしまい当たり前のものとなる。こんな東京のど真ん中の駅でこのような古レールを用いた古めかしいホーム上屋があっても、そうだと思って改めて見なければ『新しくはないな』という程度で見過ごされているであろう。
同駅での古レール使用部分のホーム上屋はやはり古めかしい。下の写真は5、6 番線ホームを東京駅方面に向かって見ているが、このホームこそ、同駅で開業時からあるホームの一つである。
同ホームをさらに浜松町寄りから見る。大きな屋根と軽快な柱による空間の大きさとの対比が印象的である。
1937 (昭和 12) 年発行の『鐡道工学』では同駅のホーム上屋の架構を以下の図で紹介している。上の写真と見比べて欲しい。少々分かりずらいかも知れないが見事にそのまま残されていることが分かる。
今回発見した刻印は以下の通り。同駅での古レールへの塗装も比較的厚く、刻印の判読は困難を伴う。また、以下に取り上げた以外にもさらに判読が困難なものが散見された。
No | 刻印 | 場所 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | ※不明 | ホーム上屋 | ※判明次第追記予定 |
2 | CAMMELLSSTEELW1907 SEC461 | ホーム上屋 | 英国キャンメル社 1907 年製造 セクション番号 461 |
やはりというか、意外というか都心の駅にもまだまだ古レール構造物が残っている好例だと言えよう。同駅では駅前に SL 広場等もあり鉄道の歴史を追う時には避けて通れない、いや避けて通ってはならない駅である。
SL 広場も近年大規模な改良を受け、以前のような少々くたびれた感じの広場ではなく広々としたこぎれないなものと変わった。だが、ホーム上屋は改良工事の告知等一切見かけない。私のような者にとっては嬉しいことである。実際に私も同駅の利用者であるが現状でも特段不便を感じないし、何より由緒ある駅名をしょって立つことになった同駅には少しでも多くの鉄道遺産の面影を残して欲しいと願って止まない。
ところで、同駅での古レール構造物は実はホーム上屋に留まらない。後に増設された現在の東海道本線ホームの浜松町寄りの延伸部の下部構造にも使用されているのである。残念ながら近寄って見ることのできない位置にある。
私のカメラで目いっぱいの望遠である。思いっきり手前の標識付近にピントがあってしまっているが、お分かりだろうか。比較的断面の大きなレールではないかと思われるが、刻印はその気になった保線作業員氏のみが知り得る悩ましい位置である。
さらに、同駅駅舎内には驚くべきことに 1909 (明治 42) 年の開業時の柱が大切に保存されているのである。
少々小さな写真で申し訳ないが説明板も設置されている。
説明板でも触れられている刻印である。『明治四十一年一月 株式会社東京堅鐡製作所製造』(恐らく)と刻まれている。明治時代の恐らく鋳鉄だと思われる貴重な柱に直接触れることができるのである。ぜひご覧頂きたい。
明治末期に建設された現在の同駅を含む高架橋の建築概要である『東京市街高架鉄道建築概要』で示された同駅の平面図である。左が浜松町方、右が東京方である。明治の末期既に複々線だったのである。ちなみに、当時より既に将来の三複線を睨んだ設計となっていることが分かる。
見ての通り、ホームと駅舎の間が将来のホーム増設の場所の確保のため空けられているのである。現在のここには東海道本線ホームが設置されている。また、駅舎は残念ながら関東大震災で被災しその後新幹線建設のため撤去され現存しない。
出展:烏森(新称新橋)停車場平面図『図説 駅の歴史 - 東京のターミナル』 ※管理人一部加工
上の平面図で示された明治末期の新橋駅舎である。現在の東口側にあった。現在からは想像もつかない壮麗な駅舎である。
出展:二代目新橋駅(絵葉書)『図説 駅の歴史 - 東京のターミナル』 ※管理人一部加工
1923 (大正 12) 年に発生した関東大震災での同駅の被災状況である。煉瓦部分は持ちこたえているようだが、火災により事実上大打撃を受けている。
出展:土木学会編『関東大地震震害調査報告掲載写真』 第二巻 鉄道・軌道の部 ※管理人一部加工
同じく関東大震災での同駅の被災状況である。高架橋の上は悲惨な状況であったことが伺える。
出展:土木学会編『関東大地震震害調査報告掲載写真』 第二巻 鉄道・軌道の部 ※管理人一部加工
なお、同駅構内には以下のような『新橋地下駅開業記念碑』がある。『汽笛一聲』とはもちろん、『鉄道唱歌』の歌い出しであろう。
また、同駅を含めた区間の前面展望動画を京浜東北線南行電車より共同撮影者と共に撮影したのであわせてご覧頂きたい。