世の中にはいろんな物があります。なかなかどうして日本も広いです。最高(永ちゃん風に)。
2011/06/07 『小ネタ』は今後ブログにて公開します。そのため、当ページ配下は今後更新されません。ご了承ください。
2008/06/18 全写真のサイズを統一しました。
以前、あの餘部橋梁を訪れた報告書として JR 西日本山陰本線(鎧~餘部)【餘部橋梁】 第一巻 を公開しているが、その際カニで有名な香住にそれこそカニも堪能するために訪れた。その際に報告書にこそ紹介しなかったが、香住駅前には看過できないアイテムが存在していたのである。
絵面としては結構デカいし怖い雰囲気のアイテムであるが、そこに示された言葉により非常にユルイ印象となっている。東京からだとなかなか遠いが、これを見てしまったからには再訪せねばなるまい。
ローカル色あふれるあの銚子電鉄の前面展望動画を撮影するために、都内より颯爽と銚子に向かう途中乗り換え駅である千葉駅で若干待ち時間ができ、青春 18 きっぷでもあったので、生まれて初めて千葉駅の外に出てみることにした。あわよくば千葉モノレールのポイント(分岐器)の撮影地点でも確認しておこうかと少々空を仰いでみたものの、いい場所は見つからなかった。
しかし !! もうすっかり有名だとは思うが、イカす建物を偶然見つけてしまった。ご覧頂きたい。
千葉駅前交番である。さすが千葉、とでも言おうか。全国にはさまざまな形をした交番があると思うが、ここもなかなかのハイスペックではないだろうか。何といってもでかい。またデザインもかなり思い切っている。
ところで、これは『ふくろう』なのか、それとも『みみずく』なのだろうか。
数年前 JR 東日本東京車両総合センター主催の『夏休みフェア』に出かけたことがある。要は車両基地の公開イベントであるがその中で個人的に非常に驚いた展示があった。それが以下のものである。
巨大なプラレールのレイアウトである。さすが旧国鉄ともなると半端ではない。私自身はプラレールにあまり興味はないがここまで巨大だとさすがにちょっと見入ってしまった。一体これだけのモノを揃えるのにいくら掛ったのだろうか。というかこれは同社が所有しているのか、それとも社員のものなか気になった。
もし社員だとしたら、相当の『大人買い』である。少々憧れるが私には縁のない世界である。
東京都港区にある芝公園はなんと 1873 (明治 6) 年開園のかなり古い歴史を持つ公園である。公園というジャンルについてはこれまた全くの門外漢であるため詳しくはリンク先(Wikipedia)を参照願いたいが、ここで取り上げるのは同公園の一角に設置された一見不自然な雰囲気を醸し出している石造りのベンチのような構造物である。
シンプルではあるが、非常にしっかりした印象である。ただ設置場所が微妙に通路から一段上であり日頃どれだけの人がこれを利用しているのかは何とも言えない雰囲気である。また、中央付近で真っ二つになった過去を持つようであり修復の痕跡も認められる。
現代感覚ではなかなかあり得ない雰囲気のこの構造物は何なのかと白いはめ込み部分に記載の文章を読んでみた。肝心の写真がピンボケであるがご覧いただきたい。
なお、内容は写真から判読可能な範囲では以下のとおりである。漢字の間違いの可能性も含むのでご注意願いたい。今後再訪の際にはまともな写真を撮り直したい。
大正二年以来本市公園ノ維持工営ノ職務ニ畫痺セシ三雲久吉君ハ昭和十三年九月一日●●セシ暴風ニヨリ公園ガ甚大ナル損害ヲ被リシヲ歎キ貯蓄金五百圓ヲ寄附シ復舊費ノ一端トセンコトヲ乞ウ ●ニ比●ニ山櫻三●ヲ補植シ露床一基ヲ建設ス 昭和十五年四月 東京市
そう、昭和 13 年 9 月 1 日に発生したという自然災害により損害を受けた同公園に多大な援助を行い、その復興に貢献した氏への感謝の念を記したものだったのである。ただ、この『三雲久吉君』については Google おじさんを以てしても全く情報が得られなかった。どなたか情報をお持ちの方はご教示頂けると幸いである。
この写真は 2006/06/10 に撮影したものであるが、同氏にはこの露床から現在もそしてこれからも末長く同公園を見守って頂きたいと思う。
以前私の個人のブログに『修悦体』という記事をアップした。が、アップした後で『こういうのってどっかでみたことあるぞ?』という気にかられ、記憶を辿ると現在鋭意建設中の京急本線の立体交差事業の仮囲いで見たのを思い出した。ということで、早速確認しに現地へと向かった結果、やはりそのものずばりであった。場所は京急蒲田駅及び大森町駅である。
実は『修悦体』という存在を知る前からこの京急関連の仮囲い文字は気になっていたのである。『器用な人がおるもんやね』と。ちなみに私は現在大田区に住んでいるため思いっきりホームグラウンドであるが、さすがは有名警備員である。このような首都圏の鉄道関連の大規模な改良工事にはあちこちにお呼ばれするようになったのだろう。怒涛の 21 連発の掲載であるがご覧頂きたい。
ちなみに、本記事は撮影当日にアップという GNR 始まって以来の快挙を成し遂げていることを付け加えておきたい。
まずは京急蒲田駅から。
次に大森町駅である。
いかがだろう。これをガムテープとカッターナイフのみで一人でこつこつと製作するのである。この連続立体交差事業はこの京急本線だけでなく、空港線でも実施されているので両線ともに他の駅等にもあるのかも知れないが、私が日頃目にしていたのはこれが全てである。
と言いつつ、実は平和島~大森町間にも『騒音出すな』等というものもあるが、それは撮影していない。沿線住民もしくは通勤で同線を利用している方は改めて車窓から修悦体を鑑賞してみてはいかがだろう。
JR 東日本品川駅構内には通常営業としては運転されていないが、とある車両が留置されている。それがこの『クモユニ 74001』である。見る人が見れば郵便ポストと勘違いするので、実際ポストとしても機能するようになっている。
また、隣には山手線と品鶴線の起点であることを示す 0 キロポストもある。その足元には説明板があるが、鏡面仕上げのため撮影は断念した。
何だよ、ポストかと侮ることなかれ。そのディティールには目を見張るものがある。足回りを見ると、『東トウ 郵便 荷重 4.0t』、『クモユニ 74001』とある。
つまり、『東京総合車両センター所属の郵便荷物車』で、『運転台、モーター付き車両 74 系』の栄えある製造番号 1 の車両なのである。ところで、□に S は何の記号だろうか。ATS 関連の形式を示すものか。この方面知識がないのでご存じの方はお知らせ頂けると嬉しい。また、○に 2 とある。これは写真左側がいわゆる『2 エンド』側であることが示されているのである。鬼のようにリアルな表記と言えよう。
さらに、車輪(台車 ?)周りにも自動連結器を含め妥協のない見事な仕上がりが見られる。
足回りを正面(2 エンド側)から見る。ちゃんとレールに乗っているのである。また、車輪も本物同様の踏面のテーパーまで再現されている。さらにさらに、台車が車両そのものを支える部分にはバネまで仕込まれている。
ポストにするのは惜しいくらいのこだわりの逸品である。ぜひ皆さんも品川駅でじっくりご覧頂きたい。
2008/10/04~10/6 にかけて、箱根方面の現地調査に出かけた。調査対象を地図にプロットしたので興味のある方はご覧頂けると幸いである。
この調査の最中に『らーめん缶』なるものの自販機を目撃した。なかなか圧巻の眺めである。
近頃は何でも自販機で買えるが、ラーメンが缶で売っているのは私にとっては初見である。その他にもうどん、おでん、筑前煮まである。まぁ、おでんや筑前煮はまだ分かるがラーメンやうどんについては麺はどうなっているのかと思ってよく見ると、『新開発ヘルシーでのびない蒟蒻麺使用』とある。
うーむ。
キワモノということで、福岡育ちであるため『とんこつラーメン』を購入した。しかし、豚骨スープとこんにゃくの味の共演に恐怖している私はまだ実食する勇気がない。
GNR - 調査日誌:第一次犬山計画で書いたように、突然名古屋方面での調査の時間を微妙に捻出することとなった私は犬山方面での調査を敢行し名古屋駅に戻るべく、名鉄犬山駅のホームで電車待ちをしている時に見つけたハイグレードな乗車マナー啓発ポスターである。
写真が見づらく恐縮だが、右側には『名古屋弁講座(4)』、『乗車マナー<荷物の持ち方編>』とある。また、中央左下には小さな字で『【意味】あたっていますよ。』とある。
素晴らしい。実に巧みなマナー啓発である。
一見この地を訪れたよその人間に名古屋弁を紹介しているように見えて、実のところ日頃このポスターを目にする地元の人達、つまり日頃の利用者に地元の言葉で訴えているのではないだろうか。アピール度はかなり高いと思う。
さしずめ我が故郷の筑豊ではこんなところだろうか。
『あたっちょうっちゃ。』
去る 2008/03/29 に西武鉄道小手指車両基地で開催されたデビュー前の同社の新型車両である 30000 系(なかなかの桁数)のお披露目イベントを見学した。
既に営業運転を開始しているので西武線沿線の方は走っている姿をご覧になっているだろう。ちなみに私は沿線ではないので、デビューしてからは一度も見ていない。
この新型車両は『スマイルトレイン』という愛称を冠され、開発スタッフに女性社員を起用したり、今までになかった西武鉄道のイメージを一気に刷新する車両である。この車両のデビューにあわせ会社ロゴ、会社キャッチコピー、制服も一新され西武と言えば『黄色』だったこれまでとは生まれ変わろうとしているようである。
ところで、この新型車両はその愛称の通りの表情を持つ。詳細はリンク先や他サイトに譲ることとして、ここではその表情に注目したい。癒される『スマイル』である。開発した方々も竣工時は同じ顔になったであろう。
なお、同イベントに参加した際に撮影した動画もご覧頂けると幸いである。
JR 西日本大阪環状線の鶴橋駅は高架駅であり、高架下が駅本屋である。高架下には改札等の駅設備のみならず店舗も入居している。
ここにはまさにこの立地にふさわしい名称の喫茶店がある。それが『途中下車』である。
この喫茶店はまさにホームの真下にあるが、向い側には『BOOK OFF』が入居している。
一見何の変哲もないように見えるが、よく見て欲しい。自動改札機が設置されている。ちなみに、私は入ったことがないので確認していないがこの店から駅の外に出ることができるわけではない(はずである)。
ではなぜ、ここに改札が必要なのであろうか。不思議である。
JR 東日本新橋駅の日比谷口前は通称『SL 広場』と呼ばれる有名な広場である。
かつては、ニュースステーション(だったと思う)の一コーナーであった、『よっぱらいの主張』等が撮影されるなどいかにもサラリーマンと言う素材に事欠かないイメージの街である。
しかし、鉄道という側面からみると日本で最初に開業した新橋~横浜間の起点駅のという由緒ある駅名なのである。もちろん、正確には近年復元された旧新橋停車場(汐留)がそれであり今の新橋駅はかつては烏森駅として開業したものである。
そして、詳しい経緯は把握していないが駅前広場には SL が鎮座することとなった。この SL は『C11 292』で、定期的にお色直しによるメンテナンスも実施され黒光りの美しい状態を保っている。
車両の下は煉瓦造りのアーチ橋を模したものとなっており、リアルさを演出している(新橋~東京間の高架橋は現在も最も西側寄りはオリジナルの煉瓦造り)。
さらに、年末年始は電飾が施され街のアクセントとなっている(撮影日:2007/12/28)。ちなみに、反対側(駅側)には『謹賀新年』との看板が設置されている。
また、この SL は一日に数回程決まった時刻に汽笛を鳴らすので(テンダー駅側に説明板あり)、ぜひお聞き頂きたい。
JR 東日本南武支線の浜川崎駅は京浜工業地帯のひとつのターミナルとして重要な駅である。貨物列車が頻繁に行き交う地帯であるが、旅客駅としては盲腸線の終端駅である。
貨物用の線路は終端ではなく、隣接する鶴見線や貨物線とつながっているが、この工業地帯に関係のない人間はあまり利用しない工業地帯の独特の雰囲気たっぷりの駅である。
個人的にはかつて港湾関連の仕事にも従事していたため違和感はないのだが、おおむね殺風景になりがちである。
しかし。
この南武支線の浜川崎駅(鶴見線の浜川崎は同名駅にも関わらず離れた場所にある)のホームには心和むアイテムが存在する。
テーマは『過去』、『現在』、『未来』である。夢があって素晴らしいと思う。
『過去』
『現在』
『未来』