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古レール JR 東日本東海道本線【蒲田駅】

乗務員控室を支え続ける古レール。

2008/04/30 公開。

概要

JR 東日本京浜東北線蒲田駅。本報告書の表題には東海道本線となっているが間違いではない。表現の仕方は悩ましいが旧国鉄時代から全ての駅には所属線と呼ばれる定義が必ず存在し、複数の路線にある駅も必ずどれか一つの路線に所属した駅とされているのである。

しかし、蒲田駅は現在京浜東北線のみの駅である。ところが、この京浜東北線はそもそも正式な路線名称ではなくあくまでの実際の運行に即した通称のようなもので実際には東海道本線の電車線なのである。そして現在の東海道本線はその列車線なのである。従って同駅の所属線は東海道本線と定義されているのである。

この辺りの話は巻末の参考文献等を参照願いたい。

同駅は 1904(明治 37)年 4 月 11 日に開業し 100 年以上の歴史を持っているため、さぞかし古レールもてんこ盛りかと思いきや、やはり駅改良工事等々により意外にもホーム上屋の二階にある乗務員控室部分のみとホーム下部構造に見受けられるのみであった。さらに駅の東西を結ぶ地下自由通路入り口部分にも若干の古レールが確認できた。

なお、同駅には東京急行電鉄(東急)池上線と東急多摩川線も接続しているがこちらには調査対象となるような歴史的価値のありそうな古レールは残念ながら発見できなかった。

調査日:2007/04/14、2008/04/20

調査結果

架構

まずは、京浜東北線北行 3,4 番線ホーム上屋にある乗務員控室である。こうやって見るとホームに豪快に建屋がめり込んでおり頭でっかちな異様な姿がはっきりするが、普段ホームを歩いていると意外に気がつかないと思われる。

この建屋の前後は見ての通り型鋼による後年改築されたものであるが、この建屋部分だけは柱、梁等主要な架構部分は古レールである。

JR 東日本東海道本線【蒲田駅】古レール全景(ホーム上屋)

柱、梁部分の架構全体である。さすが、元々列車を支えていただけあってこれくらいの建屋なんぞこの程度で充分なのだろう。ただ、現在は耐震性能とかを考慮するとこうはいかないとは思うが。

JR 東日本東海道本線【蒲田駅】古レール架構(ホーム上屋)

柱、梁交差部の納まりである。シンプルな造りである。しかし、どうやってこのように正確に曲げ加工を行うのだろうか。

JR 東日本東海道本線【蒲田駅】古レール架構(ホーム上屋)

次に 2 番線のホーム下部構造の様子である。意外にこのような歴史を感じさせる架構がホーム下部に存在しているのである。

JR 東日本東海道本線【蒲田駅】古レール全景(ホーム下部構造)

このホーム下部の古レールは少々写真では分かりにくいが、このようにかなりの長さに亘って使用されている。ちなみに上の写真は下の写真の最奥部である。

右側のらせん階段が前述の古レールでできている乗務員控室への階段である。

JR 東日本東海道本線【蒲田駅】古レール全景(ホーム下部構造)

4 番線ホームの脇にある地下自由通路の入り口である。ここには一部分だけ古レールが使用されている。それは、入口両脇の柱である。

JR 東日本東海道本線【蒲田駅】古レール全景(地下自由通路)

別の角度から見る。柱に使用されている古レールがお分かり頂けるだろうか。庇を支える鉄骨の曲線のデザインが歴史を感じさせる。

JR 東日本東海道本線【蒲田駅】古レール全景(地下自由通路)

柱の詳細である。柱以外にも古レールが使用されている可能性も考えられるが、目視可能な範囲ではこの部分以外では発見不可能であった。

JR 東日本東海道本線【蒲田駅】古レール架構(地下自由通路)

刻印

今回発見した刻印は以下の通り。ホーム上屋乗務員控室周辺ではレールの製造年代が 1927 年のもののみ同じものが若干数確認できた。そのため恐らく同一断面のレールにて構築されていると考えられる。

しかし、ホーム下部構造に関してはあれだけの長さがありながら、年代が判読不可能な刻印を一か所のみの発見であった。

地下自由有通路入口に関しては残念ながら刻印を発見することはできなかった。

No 刻印 場所 備考
1 (S) 60A 1927 IIIIIIIIII 蒲田駅 3,4 番線ホーム上屋乗務員控室 60LbS / yd、官営八幡製鉄 1936 年 12 月製造
2 37 A (S) 1??? IIII OH 蒲田駅 2 番線ホーム下部構造 37kg / m、日本製鉄 1??? 年 4 月製造、平炉製鋼法

No.1

JR 東日本東海道本線【蒲田駅】古レール刻印

No.2

JR 東日本東海道本線【蒲田駅】古レール刻印

総評

同駅は我が国初の鉄道路線である東海道本線の駅としての歴史があり、また蒲田行進曲等独特の雰囲気を持った街に位置する駅でもある。大田区有数の繁華街として発展してきたこともあって、恐らく駅の拡張や改良工事も数多く行われてきたと考えられる。

かつては、ホーム上屋は古レール天国だったに違いない。ただ、乗務員控室がホーム上に設置されたのが幸いであった。はたして古レールが想像通り過去に用いられていたとしていつ頃の時代にそうなったのだろうか。概ね古レールの再利用は昭和 30 年代までと言われているためそれより以前だと考えられるがひょっとすると大正時代くらいまで遡るかも知れない。

そういう意味では駅の構造の変遷を把握できる史料というのはなかなかお目にかかれない。○○線建設概要とかだと、最初の竣工当時しか分からない。何かいい手がかりはないだろうか。

ところで、同駅の昭和 22 及び 38 年頃の航空写真が goo にて公開されているのでご紹介したい。残念ながら当然ホームの古レールが見えるわけではないが。

同駅では上述の 2 番線ホームの川崎方にはちょっとした小ネタもあるので以下の小ネタもご覧頂きたい。

また、同駅の様子を京浜東北線の南行電車からの前面展望動画として撮影したものがあるのであわせてご紹介したい。同駅の雰囲気を感じ取って頂ければ幸いである。

また、同駅の折り返し用中線に入線する営業運転初日の E233 系 1000 番台の動画を以下の調査報告書に掲載しているので合わせてご覧頂きたい。

参考文献等


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