ふるさとは遠きにありて思ふもの。
2010/06/24 公開。
JR 東日本上野駅は言わずと知れた東北方面への玄関口である。昨今においてはいわゆる夜行列車の類は絶滅の危機にあると言えるが、かつては東北及び北海道からの上京に際して必ずと言っていいくらい利用された『夜汽車』の終点であった。
また、大正末期に高架線により東京都心方面へ延伸されるまでは現在も残る頭端式の地平ホームこそが東北方面からの線路の終端であり、まさに東京の北の玄関口に相応しい風情だったことだろう。
数え切れないほどの人たちが夜汽車での長旅を経てこの地平ホームに降り立ち、東京の雑踏の中へ消えていった。その中で印象的なのはやはり『集団就職』であろう。
高度成長期に『金の卵』などともてはやされ、期待と不安を胸に上京した若者達にとっても上野駅イコール東京だったはずである。そしてたまの休みには故郷を目指して悲喜こもごもの思いでこの駅で列車を待ったことだろう。
そして、その列車待ちの集団から聞こえてくるのは懐かしい故郷の訛りである。そう、上野駅は既にそこが東北だったのである。現代ではホームで長時間列車を待つという機会は幸か不幸かあまりないが、かつては盆正月などは帰省のための長蛇の列ができ、駅の外にテントまで張られたとのことである。
そこでは久しぶりに会った同郷の友と酒盛りもあったことだろう。もしかすると悲嘆にくれる思いで並んでいた人もあるかも知れない。上野駅とはそのようなドラマの舞台であり、東京都心にありながら別世界だったのである。
しかし、実はそれは高度成長期に始まったことではない。1883 (明治 16) 年 7 月 28 日の開業より 1891 (明治 24) 年 9 月 1 日の青森駅開業により既に明治中期には東北方面の幹線として現在の東北本線が我が国の私鉄である日本鉄道により形作られ、北の玄関口となっていたのである。
そして、上野駅に対する郷愁の想いを端的に表したのが岩手県渋民の出身の石川啄木であった。
ふるさとの訛なつかし停車場の人ごみの中にそを聴きにゆく
1910 (明治 43) に刊行された歌集『一握の砂』の中のものである。ご存知の方も多いだろう。福岡県育ちの私でも知っているくらいである。明治末期には既にこのように『東京の中の故郷』として上野駅は捉えられていたのである。
調査日:2008/11/30
項目 | 内容 |
---|---|
正式名称 | 不明 |
所在地 | 東京都台東区上野 7-1 上野駅 15 番線ホーム付近 |
設置年月日 | 未確認 |
建立者 | 未確認 |
同碑は地平ホームである 15 番線ホームの線路終端部付近にある。石碑ではなく金属製の特徴的なデザインの碑である。個人的には『太陽の塔』を思い出す。
歌碑であるからして、前面には全くシンプルに歌そのものが大きく刻まれている。
私のような西日本それも九州出身となると、かつては夜汽車と言えばブルートレインだったことだろう。私が子供の頃は憧れの列車であった。ただ、結局乗ることは叶わないまま東京と九州とを結ぶ往年の名列車たちは過去帳入りとなってしまった。
ちなみに、同じ福岡県出身のタモリも上京の際にはブルートレインだったらしく、埼玉県さいたま市にオープンした鉄道博物館に展示されている当時のブルートレインの車両を見て胸にこみ上げてくるものを感じるとタモリ倶楽部で語っていた。私にも上京の思い出の駅はある。東京駅でも上野駅でもないが。
現代では新幹線や飛行機など速達性が追求される乗り物が大きく発展し、夜汽車に揺られ一晩かけて移動する機会はめっきり少なくなってしまった。目的地に着くことそのものが最優先され、道中を楽しむという概念は少数派と化した。
しかし昨今の不景気の中ローカル線の旅などというジャンルも静かに人気のようである。だが、私としては『夜汽車』は別格であると考えている。子供の頃故あって片道一時間くらいかけて毎週通った小倉駅で見た『さくら』の車掌にねだってスタンプをもらったことをよく覚えている。乗ることは無理ならせめてスタンプでもと思ったのだ。そして結局乗れないまま廃止になったのはつくづく残念である。さらにそのスタンプも度重なる引越しで行方不明である。改めて捜索してみたい。
それでも、2009 年 9 月に乗り鉄の達人である知人の企画で青函トンネルを訪れた際についに憧れのブルートレインに人生で初めて乗ることができた。それは上野~青森間を結ぶ『あけぼの』である。しかもソロ個室である。もちろん、ほとんど寝なかった。ひとつの夢が叶ったのである。ありがとう。I 氏。
その時人生で初めて上野駅で『夜汽車』を待つという機会を得た。まるで方向が逆の西日本出身の私でも『東京の中の故郷』という感覚は何となく理解できた。そう思わせる雰囲気が上野駅の地平ホームにはある。
皆さんも駅に対する思い出や望郷の想いなどがあるかも知れない。もしあるのなら、たまにはその駅へ出かけてみてはいかがだろう。
今回紹介した歌碑は他の用事で同駅を訪れ際に偶然発見したため、慌ててしまって背面やその他の情報等を調査し忘れてしまった。再訪し新たな情報を発見した際には当報告書に追記したい。
なお、上野駅には冒頭で紹介した『集団就職』についての記念碑も存在する。以下の調査報告書よりあわせてご覧頂きたい。