高度成長期を支えた金の卵たちの心の応援歌。
2010/02/11 公開。
『あゝ上野駅』歌碑は JR 東日本上野駅の不忍口を出て左に進みちょうど高架をくぐり抜けようとする辺りにある。建立は 2003 年であり非常に整備された新しい碑である。『あゝ上野駅』とは高度成長期真っ只中の 1964 (昭和 39) 年に大ヒットした井沢八郎が歌った歌謡曲である。
歌碑のレリーフにあるように、当時は東北地方などから『金の卵』と呼ばれた集団就職者が夜汽車に揺られ東京を目指して期待と不安を胸に抱きこの上野駅に降り立ち、引率者に連れられるままそれぞれの就職先へと散って行ったのである。その集団就職者達の心情を歌った曲が『あゝ上野駅』なのである。
同碑は上野駅が彼ら彼女らにとって最初に東京に降り立った駅でもあり、曲名にちなむこの場所に建立されたのである。
調査日:2006/07/15
項目 | 内容 |
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正式名称 | 『あゝ上野駅』歌碑 |
所在地 | 東京都台東区上野 7 丁目(JR 東日本上野駅前) |
設置年月日 | 2003 (平成 15) 年 7 月 6 日 |
建立者 | 歌碑設立委員会 |
同碑は大きなレリーフに C62 23 号機が上野駅 18 番ホームに到着し、集団就職者が引率されている情景が描かれている。また、下部には説明板もありそこには『あゝ上野駅』の歌詞及び建立の経緯が示されている。
さらに、その下には短いもののレールが敷かれている。これについては現地では気が付かなかった。再訪が必要である。
『あゝ上野駅』の歌詞は以下の通りである。
どこかに故郷の香りをのせて 入る列車のなつかしさ 上野は俺らの心の駅だ くじけちゃならない人生が あの日ここから始まった (セリフ) 『父ちゃん僕がいなくなったんで 母ちゃんの畑仕事も大変だろうなあ、 今度の休みには必ずかえるから、 そのときには父ちゃんの肩も 母ちゃんの肩も、もういやだって いうまでたたいてやるぞ、 それまで元気で待っていてくれよな』 就職列車にゆられて着いた 遠いあの夜を思い出す 上野は俺らの心の駅だ 配達帰りの自転車を とめて聞いてる国なまり ホームの時計を見つめていたら 母の笑顔になってきた 上野は俺らの心の駅だ お店の仕事は辛いけど 胸にゃでっかい夢がある
なお、実際の歌は以下のリンクより視聴可能である。
歌碑の正面には説明板も設置され、建立の経緯やレリーフの元となった同駅構内での集団就職者の引率の様子を捉えた写真が載せられている。
我が国の今日の繁栄の元となった高度成長期に故郷を離れ孤独で辛い毎日の中で働き続けた集団就職者に対しては素直に敬意を表したい。彼ら彼女らにとって当時この歌は『心の応援歌』として勇気と感動をもたらしたとのことである。
個人的には歌詞の中の『上野は俺らの心の駅だ』の部分に胸を打たれる。何気に私自身も九州から単身上京してきた身であるため、最初に飛行機で羽田へ到着し、モノレールへ乗り換え最初に降り立った JR の駅である浜松町駅が思い入れのある駅であり、その気持ちが分かるような気がするからである。
当時『あゝ上野駅』を歌った井沢八郎自身も歌手を目指し上京してきたため、その歌詞は本人にとっても意義深いものであったはずである。現在では東北新幹線の開業によりかつてのような夜行列車も多くは姿を消して風情もかなり様変わりし、井沢八郎も 2007 年 1 月 17 日に鬼籍入りとなった。だが、同碑の存在によりかつてそこにあった歴史は長く語り継がれることとなった。