悲運と幸運が錯綜する路線。
2010/04/10 公開。
JR 東日本岩泉線は現在我が国屈指の閑散路線として知られている。路線の途中には『秘境駅』と呼ばれることでも有名な押角駅も存在し、全区間通しの列車が一日三往復と区間運転が一往復のみである。
また、路線自体も岩手県の三陸沿岸の中核都市である宮古市に程近い JR 東日本山田線茂市駅より分岐し、山間部に分け入り龍泉洞で有名な岩泉町まで達しているものの、いわゆる盲腸線であること及び元々鉱石輸送を目的とした貨物専用路線として開業しており、その後も総じて旅客流動は少なく前述の通りの運行状況とも相まって国鉄末期の赤字路線の一斉廃止をくぐり抜け、現在存続しているというまことに特殊な存在なのである。
もちろん、当初からこのような想定ではなかった。計画では現在の終点である岩泉より先にさらに線路は延び、太平洋沿岸に達した上で現在三陸鉄道という第三セクターの北リアス線にある小本駅に接続するものであった。そのため、路線名称も岩泉線ではなく『小本線』であった。
建設は戦前の 1942 (昭和 17) 年茂市側より進められ、途中自然災害や戦争などの障害を乗り越え 1972 (昭和 47) 年に 2 月 6 日に岩泉駅まで達した。そして、この時点で路線名称も岩泉線と改称された。
岩泉駅開業後数年は龍泉洞への観光客などの需要もあり、活況を呈していたが 1982 (昭和 57) 年には貨物営業も廃止された。
そしてそのような状況のため延伸もここまでであった。というよりも詳しい経緯は把握していないが『岩泉線』という名称にしようと決めた時点で既に延伸の実現は困難になっていたのである。つまり財政がほぼ破綻していた旧国鉄の再建計画により赤字路線の廃止検討の結果としていわゆる『赤字 83 線』が未だ岩泉線の建設途中であった 1968 (昭和 43) 年に提示されたのである。ひとつの区切りとして岩泉まではかろうじて延伸されたものの、岩泉線もこの廃止対象路線に含まれていたため、以降の延伸がストップしてしまったのである。
既に龍泉洞を核とした観光旅客もすっかりバスやマイカーへシフトしてしまっていたため、このまま廃止となってもおかしくない状況であったが、鉄道廃止後の代替道路の未整備を理由に廃止を免れた。その代替道路とは国道 340 号であるが、この道路の一部区間がほぼ岩泉線と並走しているのである。前述の通り岩泉線は山間部に分け入るが、それはこの国道も同じである。
しかし、道路は鉄道ほどカーブや勾配さらには幅員も条件が必ずしも良くないため、古い時代に建設された場合かなり険しい道となる。そしてこの国道 340 号も実際かなり険しく、ある意味そのおかげで岩泉線は存続しているのである。
その国道 340 号も茂市付近ではバイパスも完成し快適な現代規格の道路に生まれ変わっているが、その距離もそんなに長くはなく、岩泉線が押角トンネルで抜ける押角峠付近などは大型車同士の離合は不可能に近い区間も残されている。なお、国道 340 号としての押角峠越えは 1935 (昭和 10) に開通した『雄鹿戸隧道』によってようやく自動車がまともに走れるようになった。その隧道については以下の調査報告書をご覧頂きたい。
また、同国道の未改良区間の険しさは以下の写真より感じ取って頂きたい。
さらに、同国道の走行動画も撮影しているのでご覧頂きたい。この動画は共同撮影者の管理するページにて公開しているものである。
YouTube - 再生リスト『国道340号線』
調査日:2006/10/24
項目 | 内容 |
---|---|
正式名称 | 岩泉線開通記念碑 |
所在地 | 岩手県下閉伊郡岩泉町中野第 40 地割 42 (JR 東日本岩泉駅前) |
設置年月日 | 1972 (昭和 47) 年 2 月 6 日 |
建立者 | 未確認 |
同碑は岩泉線の終着駅である岩泉駅の駅本屋のすぐ目の前に設置されている。比較的近年ということもあってか、銘板も金属であり全体に簡素な印象である。
碑文として『岩泉驛』と大書され、揮毫は時の運輸大臣であった丹羽喬四郎によるものである。
また、台座部分には『岩泉線開通記念 昭和 47 年 2 月 6 日』と刻まれた小さな銘板も埋め込まれている。
今回紹介した碑は建立者や建立の経緯等が把握出来ていないが、揮毫した時の運輸大臣はどのような気持ちで応じたのだろうか。岩泉より先本来の終着である小本までの延伸の凍結どころか、路線そのものの廃止を承認する立場にあったからである。
結局はその後昭和 59 年に運輸大臣により廃止承認は保留され、現在まで路線は存続している。ただし、その運輸大臣は開通記念碑に揮毫した大臣ではない。
また、国道 340 号の改良も茂市付近では進んでいるものの、その先の最大の難所である押角峠越え付近などの改良のめどの情報は未確認であるが、当分先になりそうな気配である。
個人的な推測としては確かに道としての改良は望ましいが、そもそも峠の前後では経済圏が途切れていると思われるため、往来の需要は少ないのが実情であろう。そのため、鉄道事業者である JR 東日本も旅客増を目指すような真剣な対策を施していないのだろうし、道路管理者側としても建前は地域の発展となるだろうが、実際のところはいわゆる典型的な公共事業として少しずつ改良をのらりくらりと進めていくつもりなのではないだろうか。
まだまだ岩泉線と国道 340 号の動向は注目しておかなければならないとつくづく感じている。何か新しい情報をご存じの方はご教示頂けると幸いである。