御坊の発展の歴史にとって、切っても切れない鉄道である。
2008/06/15 全写真のサイズを統一(一部縮小)しました。
2007/10/10 公開。
旧日の出紡績駅跡付近を過ぎると、再び家々の裏をすり抜けるような光景に戻る。レール断面の大きさによるのかも知れないがこの写真ではまるで標準軌のような幅である。
と、その時である。何かが線路を横切った。イタチだろうか。ちなみに線路の左側は見ての通りのプチジャングルなので彼は恐らくそこを生活圏としておりペットではないのだろう。
イタチのルートのすぐ先には人間用のルートがあった。現役時代からおおよそこの雰囲気だったのだろう。
振り返ってみる。こんなに人家があるにも関わらず彼も暮らせる自然もあるというのは素晴らしい。
さらに進むと例によって植物の侵略も勢いを増し、右側の花壇のようなものと共に線路を覆い尽くそうとしている。
少し開けてきた。総じて線路際に高層建築がないため空がよく見えるのが気持ちいい。
再び振り返る。線路が無ければ正に裏道といった雰囲気である。
さらに進むと再び里道と思われる道の交差部に出る。線路はまもなく土砂に埋もれそうになっている。日頃から往来のある道なのだろう。
※一部プライバシー保護のためマスクをかけています。
よく見ると線路が 4 本見える。上の写真で改めて見るとまるで左に分岐しているようにも見えそうだが、詳細は不明である。
振り返ってみる。どうやら自動車も通行しているようである。
さらに進むと最近ではまずお目にかかれない光景が目に飛び込んでくる。まさに軒先をかすめるとはこのことだろう。かつては轟音を立て貨車や気動車が過ぎて行った線路跡には穏やかな空気が流れている。
物干しざおも線路にキッチリ合わせて設置されているのが面白い。
そこには踏切もあった。先ほどの分岐跡のように埋もれていた線路も元々はこのようなレールの状態であったと思われる。このあたりは何故かバラストというよりは玉砂利のような石に変化しているが、これは後年撒かれたものと思われる。
振り返ってみる。かろうじてレールも映っているのでがお分かりだろうか。
民家の軒先をかすめたすぐ先には再び踏切の跡が現れる。しかし、勝手な想像ではあるが警報器の類は存在していなかったと思われる。
踏切跡をやり過ごして振り返る。何というか、上の写真と比べると雑然とした雰囲気である。
その先は枕木もきれいに並ぶ気持ちの良い眺めの開けた区間が現れる。家の裏を塀もないのに鉄道車両が抜けていくのはちょっとスリリングかも知れない。
ところで、なかなかすごいモノがさりげなく映り込んでいるのだがお気づきだろうか。
腕木式信号機の跡である。実は現地でも上の写真を取っている時は全く気がつかなかった。通りかかったおばちゃんから『臨港線見に来たん?』と聞かれ、『ここに信号あるよ』と目の前のこれを教えてもらったのである。
ありがとう。おばちゃん。
反対側から見る。何か時間が止まったような光景である。このあたりも線路内には玉石がびっしりと敷き詰められている。ある意味メンテナンスされているかのようである。
腕木式信号機跡を過ぎると間もなく終点旧日高川駅構内直前の踏切に近づく。
ここの踏切はリレーボックスと警報機が残っている。この踏切から先は旧日高川駅構内である。踏切の先にはポイントも見える。
何となく開けた空間が終着駅の雰囲気を感じさせる。
振り返る。あの腕木式信号は終着駅構内へと向かう列車から指差呼称され続けただろう。
最終巻へ続く。