世の中にはいろんな物があります。なかなかどうして日本も広いです。最高(永ちゃん風に)。
2011/06/07 『小ネタ』は今後ブログにて公開します。そのため、当ページ配下は今後更新されません。ご了承ください。
2008/06/18 全写真のサイズを拡大しました。
ふたつ前のネタに登場した『タイヤマン(茂市地区交通安全担当)』のすぐそばには国道 106 号を路線とする岩手県北バスの『106 急行』の茂市バス停がある。
ここはもうこのタイトル通りである。ご覧頂きたい。
りんごとしてのレベルは高いのではないだろうか。ただ、バス停名が見当たらないのだが。実は茂市のある宮古市に合併される前の新里村の特産物のひとつにりんごがあるのである。
なお、奥に見える石碑は三陸地方の新里村出身で道路の開削に生涯を捧げた、牧庵鞭牛和尚(1710 ~ 1782)の記念碑である。
彼無くしては今の国道 106 号や国道 45 号はなかったと言っても過言ではないだろう。茂市を訪れた際はぜひ立ち寄ってほしい。後ろに見えるのが茂市駅である。
日本屈指の赤字路線として名高い JR 東日本岩泉線。合併により下閉伊郡新里村から宮古市となった茂市から日本三大鍾乳洞である龍泉洞を抱える岩泉町とを結んでいる。
この途中市区境界を越える押角峠があり、ここを岩泉線及び同ルートを併走する国道 340 号はトンネルでサミットをクリアする。
そのサミットの宮古市側あるのが押角地区である。周囲に人家の無い山間部に押角駅があり、国道 340 号でのみアプローチ可能であるが非常に駅の位置が分かりにくく、土地勘のない方はまず見逃すだろう。
ここにそんな迷える子羊を救い、さらには山の火災防止に日夜励む『彼』がいるのである。
一枚目のの写真の中央の看板には『← 押角駅』とあり、押角駅へのアプローチを示すがそれよりも何よりも『彼』の存在の方が圧倒的である。無機質なシルバーの塗色は周囲から完全に浮いているのである。
しかも宮古市側には『防火猛進』とあり、岩泉町側には『地球滅火』とありその強い意志がうかがえよう。
皆さんも山火事には最新の注意を怠らないことを願いたい。
なお、写真の道が有名な国道 340 号である。別途道路調査報告書で取り上げる予定ではあるが我慢できない症候群の方は 『山さ行がねが』 道路レポートの『一般国道340号 押角峠』をご覧頂きたい。
※私も同じ押角峠について以下の報告書を執筆したのでご覧頂けると幸いである。
ひとつ手前のネタから宮古市街へさらに進んだ、岩手県宮古市茂市。かの JR 東日本岩泉線と山田線の分岐駅である茂市駅のそばを走るこれまた国道 106 号から茂市駅前への分岐点に『彼』はいた。
ここでは、無機質にそれでいて正確に積み上げられた本体と周囲とかけ離れた色彩によりドライバーへの強烈なアピールを試みている。
引き続きドライバー諸氏には安全運転をお願いしたい。
岩手県宮古市箱石。ここは盛岡~宮古を結ぶ宮古街道と呼ばれる国道 106 号沿いにある静かな集落である。
ここにもご多分にもれず交通安全を喚起する『タイヤマン』がドライバーの安全意識向上業務を日夜ひたむきに遂行している。
ご覧頂きたい。
彼は周囲の長閑で豊かな自然の風景に溶け込むべく、牛に近い外見を呈している。しかし、あくまでもドライバーへの注意喚起が主業務であるため自らもゴムタイヤの四輪であることにより『牛には関係ねぇーだろ』というクレームを未然に防止している。
さらに、頭部のパトランプが夜間には点灯しドライバーへのさらなる安全意識向上に寄与している(と思われる)。
なお、牛としての概観にも手抜きはなく、顔のリアルさは言うに及ばず、立派な角もある。そして実は乳牛であることが発覚したのである。
素晴らしい。国道 106 号をご利用のドライバー諸氏におかれましては是非とも安全運転をお願いしたい。
ある年代以上ならご存知だと思うが、かつてトラックもそうであったように電車にも『ボンネット型』が存在した。
車体の老朽化やそもそもボンネット型は新造されないため、現在はなかなかお目にかかれないがごく一部の優等列車等に現役で使用されている。
ちなみに首都圏では上野から発着する『ホームライナー』としてお目にかかることができる。ここで使用されているのはかつて碓氷峠を越えるために 1971(昭和 46)年に新たに設計された旧国鉄 489 系特急電車である。
シブい!! 最近の電車ではあり得ないこのデザイン。アツい!! 私は子供の頃に持っていた下敷きに描かれていたのを知るのみであった(福岡育ちなので)。この年になって初めてまともに見たような気がする。上野駅でサラリーマンが『うぉーっ!!』とか『イイっ!!』とか言ってしまった。変な奴である。
そして、見逃せないもう一つのポイントがかつての碓氷峠越えを物語る証拠である。
489 系の製造番号『3』というのもすごいが、車体形式表示の前にある●に注目して頂きたい。これこそが碓氷峠を越えるべく台枠補強された車両なのである。
また、ちょっと写りが悪いがこの写真もぜひご覧頂きたい。
運転席の空調は扇風機である。やはりアツい。こんな希少車(と私は思っている)を都心の真っ只中でお目にかかれるのである。塗装がよれよれだがこれは輝かしい歴史によって刻まれた年輪と言っておきたい。末永い活躍を祈る。頑張れボンネット!!
かつて多摩川には多くの『渡し』があった。まだ橋が少なく船が川を渡っていたのである。その中の一つに大田区矢口にあった『矢口の渡し』がある。
なんと、最寄の東急多摩川線の駅名はこれにちなんで『矢口渡(やぐちのわたし)』である。東急あっぱれである。かつての交通の要衝を現代の駅名にするとはナイスだと思う。
付近は矢口という地名であり、地元の祭りも行われる歴史ある街である。
と、そこで『渡し船』を発見したので披露させて頂く。
東京駅の北にある首都高速神田橋ジャンクションの南側付近にあるNTT大手町ビルの東側JRの線路のすぐ西側に位置するいかにも一昔前の大きな郵便局のような建物がある。
正式名称は(恐らく)このタイトルの名称である。なかなか大きな郵便局である。左の写真に写っている高架がJR東日本中央線である。
実は写真では分かりにくいが驚くことに中身はものけの空である。恐らく近いうちに解体されるのではないだろうか。訪れたのが休日ということもあり東京駅のそばなのに人気もなく、何とねずみがいた。
当然ねずみの写真もあるが、大人の判断ということで割愛させて頂きたい。
なぜこんな所に言ったかというと、別に廃墟の匂いをかぎつけたわけではなく JR の高架の先にある大正時代の由緒ある某構造物を何とかみたくて近づいたからである。結果は大正解でバッチリ写真に収めることができた。この報告は別途行いたい。
いつか本物を見てみたいが、私同様なかなか見られない方は上野公園に電車で Go!
最早、流石としか言いようがない。
第一ビルの追跡調査の実施に乞うご期待。
植木等と言えば『日本一シリーズ』である。この中で数々のスーパーサラリーマンを演じるが舞台となる会社の一つにこの『後藤又自動車』がある。なんとその会社は今も変わらず営業している。
ここはシリーズ中別の作品では『ローズ化粧品』としても登場しているが実のところ、このビルは実際は大和証券本店であり撮影当時のビルそのものである。不確かな情報だが取り壊しされるらしく、恐ら��新社屋���の建て替えと思われる。その前にもう一度見ておきたい。
ちなみにこのエントランスは『後藤又自動車』へ初出社時のエントランスとしてのみ登場し、社内はヤナセ本社で撮影された。ヤナセ本社も追って紹介したい。
京急に立会川という駅がある。もちろん付近に流れる川の名前であるが実はこの川は水源のない人工河川であり水がほとんど流れていないために水質汚濁が激しく悪臭を放ついゆるドブ川であった。
この川の浄化作戦としてなんと 10km 以上はなれた JR 東日本東京駅付近の総武線快速地下トンネルからの湧水を導水管を延々敷設しこの立会川に放流しているのである。
その結果ボラの大群が川に出現しニュースになった。
となると、必ずと言っていいほど勝手に名前がつけられ関連グッズが販売される。ここまではありがちだと思う。しかし、このボラの場合は違った(と言っても人間がやっていることだが)。ご覧頂きたい。
『ボラちゃん音頭』である。それだけではない。
ちょっと垂れ幕が見えにくいが、『ボラdeサンバ』である。ていうか民謡道場?
amazon.co.jp でも発見。
『ボラちゃん音頭』と『ボラ de サンバ』及びカラオケバージョンもあわせて収録されている。
JR 東日本神田駅の北側、山手線と中央線が二手に分岐している地点にある巨大な変電所である。なぜここで交直流共に変電する必要があるのかは知らない。
写真は正門である。雰囲気としては電力会社の変電所と大差ない。何か共通仕様でもあるのだろうか。ちなみに、私は過去に関西電力の変電所(業界用語で言うところの SS )に出入りしていたが正門の門扉は同様の雰囲気であった。
もちろん、一般人は立ち入り禁止なのでいろいろ注意書きが掲示されている。ここで、過去に関西電力の多数の変電所に出入りしていた私がお目にかかったことのない注意書きがあったのでご紹介したい。
はーい!よいこのみんなはちゅういしよう!
全てひらがなになると、やはり大人には読みにくい。どうせなら社名もひらがなで。。。