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古レール JR 東日本山手線(目黒~恵比寿)【白金桟道橋】

桟道橋という名の跨線橋。

2008/12/10 公開。

概要

白金桟道橋。本サイトで主に取り扱っている鉄道構造物としては少々特異な名称である。しかし、古レール構造物の分野ではかなりメジャーな存在であり、JR 東日本山手線の目黒~恵比寿間にある鉄道線路を跨ぐ人道跨線橋なのだが、なぜか『桟道橋』となっている。

なお、読み方については施工記録のような一次資料的なものが皆目見当つかないのだが、『さんどうばし』である。これは後ほど紹介するが、現地には立派な銘板があり、そこに読み仮名が示されているのである。ただ、個人的には『桟道』が音読みなのだから、『さんどうきょう』とするのが自然ではないかと思っている。例えば、人道橋は『じんどうきょう』であり、『じんどうばし』ではない。

この跨線橋が架かるのは山手線と山手貨物線(埼京線・湘南新宿ライン)が掘割となっている個所である。特に山手貨物線の部分については山手線よりもさらに深い掘割となっており、そこは古レールによる美しいアーチとなっている。比較的浅い山手線の部分は通常のラーメン形式である。

なぜこのように両線に高低差があるかと言うと、この白金桟道橋の 200m ほど北にある、日の丸自動車学校付近で両線が立体交差するからである。その様子は当サイトの古レール調査報告書にある調査個所をプロットした地図である Live Search Maps 上で本案件の箇所を拡大し、左上のメニューにある『概観図』をクリックすると上空からの斜め 45°上空からの航空写真が表示され確認可能である。なかなか便利な機能なのでぜひ試して頂きたい。

竣工は土木学会『歴史的鋼橋』によると、1926 (昭和元) 年とあり、さりげなく既に 80 年以上が経過している大変貴重な構造物である。ちなみに、山手線が現在のように環状運転を始めた翌年でもある。ところで、三省堂の国語辞典によれば『桟道』とは、(1)がけに沿って板や丸太で作った道、(2)かけはし とある。(2)は少々意味が違うとすると、竣工当時古レールの架構の上部は板きれのようなもので、 (1) のようなイメージだったのだろうか。

調査日:2007/10/21

調査結果

架構

冒頭で述べた通り、本構造物は二段の段違いになった掘割の上に架かるものであり、深い方の掘割すなわち山手貨物線上には下部構造としてアーチ、そして浅い山手線上部にはシンプルなラーメン構造となっている。歴史的鋼橋によると、このアーチ部は『上路固定リブアーチ桁』と呼ばれる形式である。

画面左側が目黒方、奥が恵比寿方である。手前の山手線部分に至っては架線支持構造物がぎりぎりの高さで据え付けられているのが見て取れる。

JR 東日本山手線(目黒~恵比寿)【白金桟道橋】古レール全景

逆の恵比寿方からの全景である。やはり、アーチ部はラーメン部に比較すると古レールの使用量も多く、力学的に安定した印象を受ける。それもそのはずでアーチ部はレールが二本組みがさらに二つ組み合させれ四本で一つのアートを形作っているのである。しかし、よくぞ 80 年以上前に建造された構造物が現在の車両建築限界に抵触しないものだと感心させられる。

JR 東日本山手線(目黒~恵比寿)【白金桟道橋】古レール全景

ここで、世の中の現実をご紹介したい。このように美しく貴重な構造物であるが、場所柄(そうとは限らないが敢えてそう言わせて頂く)このような落書きが見られる。

どのような内容(一見それが非常に手の込んだものでも)であれ、他人の所有物にこのようなことをするとただの『落書き』であり犯罪である。こんな簡単なことすら理解できない輩が多くいるのには本当に閉口する。

JR 東日本山手線(目黒~恵比寿)【白金桟道橋】全景

上部全景である。写真では少々伝わりにくいかも知れないが、幅員としては自転車がすれ違える程度である。中央に自動車の侵入防止のポールが敢えて設置されていることを考えると、かつては自動車も通行していたのかも知れない。

また、上部の柵は後年のものであるため竣工当時の様子をうかがうことはできない。どなたか古い写真をお持ちではないだろうか。

JR 東日本山手線(目黒~恵比寿)【白金桟道橋】上部全景

銘板である。このような立派な銘版も跨線橋としては少数派ではないだろうか。これはこの橋に対する愛着の表れであろう。絵柄も風流なものである。

JR 東日本山手線(目黒~恵比寿)【白金桟道橋】銘板

実は銘板はもう一つある。この銘板の存在によりこの跨線橋の読みが明らかになっている。しかし、ここに描かれている建物は何であろうか。この地にゆかりのあるものとも考えられるが説明板等は設置されていないため、謎である。もしや、梅園でもあったのだろうか。

JR 東日本山手線(目黒~恵比寿)【白金桟道橋】銘板

刻印

今回刻印は発見することができなかった。正確には『発見』はしたのだが、手持ちの機材では距離が遠く判読不可能であった。一応安物双眼鏡では何かしらの刻印があることは確認できたが、しばらく凝視したが目が痛くなって諦めたため判読には至らなかった。

そこで、負け惜しみのようではあるが、私のカメラでの精一杯の拡大写真と場所を明らかにすることで、ロケットランチャーレンズをお持ちの方の成果に期待したい。

No 刻印 場所 備考
1 不詳 東側目黒方アーチ基礎部 写真中最も手前側の面の基礎部ぎりぎりのあたりに刻印が存在するようである

No.1

JR 東日本山手線(目黒~恵比寿)【白金桟道橋】古レール刻印

総評

都心に残る古レール構造物の観察するたびにいつも感じることであるが、かなり数を減らしたと思われるがこんな都心にもまだまだ残っていることにただただ驚く。

本件の場合、現在の視点ではどう見ても跨線人道橋であるが名称からして竣工当時はやはり自動車も通行したのではないだろうか。仮にそうだとしても『白金跨線橋』で済みそうなところを敢えてこの名称にした意図は何であろうか。また立派な銘板の存在やそこに描かれた絵柄からして一体どのような過去を背負った構造物なのか非常に興味深い。

これからも落書きにめげず美しくメンテナンスされ続けることを願いたい。

また、同駅を含めた区間の前面展望動画を山手線外回り電車より撮影したのであわせてご覧頂きたい。同橋は 2:35 あたりから見ることができる。

参考文献等


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