不思議な地名の駅の古レール。
2009/12/28 公開。
JR 東日本山田線箱石駅の開業は隣の川内駅と同じく 1933 (昭和 8) 年 11 月 30 日である。箱石とはこれまた不思議な地名であるが、川井村郷土誌によると国内には以下の通り複数の市町村に『箱石』は存在するとのことである。地名の由来は何であろうか。また以下の地域間には何らかのつながりがあったのか全くの偶然かは不明である。
そして、川井村は 2010/01/01 をもって消滅し、宮古市となる。合併協議会のサイトによると、宮古市の住所に変更はなく川井村内の住所は『下閉伊郡川井村』が『宮古市』となり、大字の表記が削除されるとのことである。そうすると、箱石駅のある下閉伊郡川井村大字箱石はもろに上記三箇所目と重複することになる。今日では結局のところ郵便番号さえ正しく書けば住所表記は重複していても問題ないのかも知れないが、何とも言えない奇妙な印象を受ける。
話を駅に戻そう。当駅は現在こそいわゆる棒線駅であるが、かつては貨物ホーム跡と思われる遺構や、交換可能であったと推測される線路配置等興味深い痕跡が残されている。本報告書では古レールに特化して取り上げるが、これらの遺構については別途報告したい。
そして同駅では、山田線無人駅の場合のお決まりのパターンのようであるが、ホーム上屋でも跨線橋でもなく駅名標に古レールが使用されている。
なお、本報告書は以下の総合調査の調査対象である。
調査日:2007/09/28
普通このような写真を見れば単に駅の風景であるが、ここではあくまでも古レール構造物の全景を示している。右端に写る駅名標がそれであるが、ハッキリ言ってしまうと、隣の川内駅と全く同一の作りである。
なお、線路の曲がり具合いに注目して頂きたい。写真は宮古方面を望んでいるがホームより向こう側で左にずれており、これはちょうど現在土手のようになっている部分にも線路があったものと私が推測する根拠である。つまりは、-<=>- のような線路配置だったのではないだろうか。
今度は逆に盛岡方面を望む。土手は相変わらず続いており、私にはもう一本線路があったとしか見えない。静かな山あいの駅といった感じで個人的にはとても落ち着く雰囲気である。なお、画面中央左に写る駅名標も古レールによる作られている。
さらにホーム上を盛岡方面に進むと三個目の駅名標が現れる。実はこれも古レールであり、同駅では自立型の駅名標は三箇所とも全て古レールによる同一の構造である。
なお、線路脇にある電柱の左側にはホーム跡と思われる遺構が残されておリ、ここに切り欠きホームが存在していたようである。恐らくは貨物用ではないだろうか。実際にはもう少し詳細に調査を実施したので別途報告することとしたい。
今回は残念ながら刻印は発見できなかった。また古レール断面は川内駅同様比較的大きい(37kg/m 程度か)ようである。古レール駅名標が三箇所あるにもかかわらず刻印が存在しないのは残念であるが、部材としてはどうしても短くなるため致し方ないのかも知れない。
山田線の無人駅の多くがそうであるが、ここ箱石駅でもかつての駅舎は取り壊され簡素な待合室のみとなってしまっている。本報告書でも敢えて紹介していないが、小ぎれいなものとなっている。巻末のリンクでかつての山田線の駅舎の様子を知ることができるが、残念ながら箱石駅は含まれていない。どなたか写真をお持ちではないだろうか。
実際このような駅では過去の痕跡が多く残されておリ、私のように過去を追う者にとっては非常に魅力的な駅である。現地である程度は痕跡を探ったので今後机上調査を進め、別途紹介したい。情報をお持ちの方はコメント等頂けると幸いである。
同線では全区間ではないものの、前面展望動画を撮影している。共同撮影者のサイトにて公開しているのでご覧頂きたい。