さりげなく古レール。
2009/10/07 公開。
あの岩泉線である。当サイトをご覧の方々にとっては釈迦に説法かも知れないため簡単に述べたいが、旧国鉄末期の赤字路線のメッタ切りを奇跡的に免れた我が国屈指の閑散路線である。最近では『秘境駅』などという単語もメジャーになってきており同線にもいくつかそのような駅もエントリーされているようであるが、私としては路線そのものが美しい自然の中にある素晴らしい路線と捉えている。
余談だが、個人的にはあまり『秘境』という言葉を『駅』に当てはめるのは適当ではないと考えている。駅とはそこに歴史があり、そしてその歴史には必ず『人の営み』がある。『秘境』とは『人の営み』とは相反するものと考えるからである。確かに、社会や駅周辺地域の状況の変化により過去とは異なり、現在は『人煙稀なる』状態の駅もあるが、私はそのような駅を訪ねた際にいつも『人の営みの歴史』とは連綿と存在していると感じる。
少々脱線してしまった。同線は 1922 (大正 11) 年発行の改正鉄道敷設法で制定された、沿線内陸部で産出される鉱物資源の輸送を目的として計画された路線の一部である。そのため山深い区間を縫うように走っているのである。つまり、そもそもは人様のための鉄道ではなかったのである。そして、結局は社会情勢の変化により当初の計画を果たせず他線との接続が叶わず盲腸線のまま現在に至る点も特異な点と言えよう。
同線そのものについては以下の総合調査に於いて、簡単ではあるが全駅の現況を記録したので別途報告書として紹介したい。なお、本報告書は第二次岩手計画の調査対象(No.114)である。
また、今回取り上げる浅内駅は 1957 (昭和 32) 年の開業の 50 年以上の歴史をもつ駅であるが、この駅に限らず岩泉線ではそもそもホーム上屋のない駅が多く古レールはそもそもなかなか見かけない。開業当時からと思われるような古い駅舎も木造であり、理由は定かでないが古レール利用の構造物はほとんど見かけない。
そんな中、そのわずかな古レールを浅内駅で発見したのでご紹介したい。なお、駅そのものの紹介は前述の通り別の機会に同線全駅に渡って報告させて頂きたい。
調査日:2007/09/24
往々にして駅における古レール構造物はホーム上屋が主であるが、浅内駅ではまずホーム上屋が存在せず、ホーム上には簡素な待合室が存在するだけである。
では古レールはというと、なんと駅名標に用いられているのである。一見すると特に違和感のない作りだが、よく見ると古レールと木材を組み合わせた素朴で珍しいタイプのものであることが分かる。これは気をつけてないと見過ごしてしまいそうである。ところで、駅名標としてはいわゆる旧国鉄タイプと呼ばれる現在用いられていない形式のものであろう。
背面はこれまた微妙に珍しいものになっている。駅名が中央に大書され、それ以外の標記がないのである。恐らくこれは、この写真左側の離れた場所にある駅本屋からの視認性を確保するためと思われる。駅本屋等は冒頭の通り別の機会に紹介したい。
ちなみに、同ホームではいわゆる JR タイプの駅名標も設置されており、よくぞ旧タイプの駅名標が撤去されずに残ったものだと思う。残す判断を下した関係者に敬意を表したい。
今回は残念ながら刻印は発見できなかった。断面形状等を計測したわけではないが、同駅の開業年代や資材運搬の手間を考えると 37kg/m 程度の国産レールではないかと勝手に推測している。再訪の機会が得られれば、改めて確認して見たい。
調査報告書としては極めて内容の薄いものとなったが、同駅の古レールについての報告は Web では見かけないため、量は少ないが敢えてそのまま報告することにした。
同駅は開業時から 1972 (昭和 47) 年の延伸までは終着駅であったことから駅構内はとても広く、かつての賑わいぶりを想像するのも楽しい。冒頭で述べた通り、別の機会にそのような過去の賑わいも含めて情報が得られればあわせて報告したい。
ちなみに、同駅は静かで心休まる好きな駅のひとつである。