千駄ヶ谷だがや。
2009/06/18 公開。
千駄ヶ谷。少々不思議な地名である。しかし、関東では一般的な『谷』と書いて『や』と読む地名の一つである。現在では想像がつかないが、『谷』と名づけられるにふさわしい窪地があったのだろうか。また、かつては都内有数の連れ込み宿街だったのが、東京をオリンピックを契機に変貌を遂げたようである。
私のような後からやってきた人間からすると、同地域に対しては東京体育館や国立競技場、新宿御苑に明治神宮と緑に囲まれた地域という印象である。私事としては、東京体育館の中にある公共のジムに 300 円とかの料金で何度か通ったこともあった(今もあるのだろうか)。
同駅の開業は 1904 (明治 37) 年 8 月 21 日であり、既に 100 年以上の歴史を持つ駅である。開業当初は現在とは異なり私鉄の甲武鉄道の路線であった。国有化は同駅開業のわずか 2 年後の 1906 (明治 39) 年である。
ちなみに、同社及び路線についての沿革については土木学会の明治 24 年発行の『工学会誌』にて紹介されているので当報告書巻末のリンク先よりご覧頂きたい(ただし、同資料は新宿八王子間についての報告である)。
調査日:2007/04/21、2008/05/05
同駅ホーム上屋に使用されている古レール架構は、シンプルでありバラエティに富み個性あふれる中央本線の古レールホーム上屋架構としては異端児のごとき存在である。
同駅での古レール架構は結構な長さを誇り、正確には記憶がないがほぼホーム上屋全長がそうである。見通してみるとなかなか壮観な眺めである。
今回発見した刻印は以下の通り。同駅での古レールへの塗装も比較的厚く、刻印の判読は困難を伴うが、最早それは首都圏でのお約束である。以下に取り上げた以外にも刻印は存在するかも知れないが発見できなかった。ただ単に見落としただけの可能性もある。情報をお持ちの方はご一報頂けると幸いである。
No | 刻印 | 場所 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | UNION D 1886 N.T.K. | ホーム上屋 | ドイツ ウニオン社 1886 年製造 日本鉄道(?)発注 |
千駄ヶ谷駅と言えば、私は全く門外漢であるが日本将棋連盟の本部所在であることを記念してホームには以下のようなイカしたオブジェが存在する。
裏面には当駅の由来が記されている。碑文は以下の通り。
駅の由来
その昔この付近の谷あいから「千駄の稲」が収穫されたところから太田道灌が千駄ヶ谷と名付けたと言われています
千駄ヶ谷駅は明治三十七年八月に開業し当時の乗降客は一日二五〇人ほどでした
昭和五十五年十二月建立
そしてやはり当サイトとしてはかつて同駅付近に存在した青山軍用停車場を忘れてはならないだろう。現在の神宮外苑はかつて青山練兵場という軍事施設だったのである。また、現在の中央本線の北側にある慶應義塾大病院も同じく旧陸軍の施設跡である。
現在首都圏で軍事防衛関連と言えば四谷の防衛庁くらいのイメージが強いかも知れないが、かつては首都圏にも軍事施設は広大な敷地と共に数多く存在していたのである。例えば北区赤羽などはまさに『軍都』であった。
そして、今回の青山軍用停車場についてもいずれは当サイトで取り上げたいが、ひとまずブログにて少々言及しているので以下のリンクよりご覧頂きたい。