我が国最初の鉄道による旅客死亡事故の記憶。
2010/05/12 公開。
実は、この碑については以前小ネタ 第四巻『これは何 ?』にて謎として取り上げていたが、その後正体が判明したものである。この碑はなんと大森駅構内で起きた我が国最初の鉄道による旅客死亡事故の慰霊碑である。
1885 (明治 18) 年 10 月 13 日深夜 1 時頃、現在も続く池上本門寺の御会式の参詣者を乗せた客車が同駅構内の分岐器上において脱線転覆し、乗客一名が死亡したのである。発生原因は機関士の入換合図の見誤りとされ、これにより開通していない状態の分岐器に割り込んだのである。
現在の大森駅では保線車両の留置線と思われる線路への分岐以外通常の営業線では分岐器は見当たらいようであるが、かつては営業列車を転線させる分岐器が存在したのだろう。
なお、この碑の建立場所は大森駅に停車しない東海道本線の上下線の間であり、残念ながら接近することができない。京浜東北線の蒲田方ホームのからのみ観察可能である。
調査日:2007/04/14
項目 | 内容 |
---|---|
正式名称 | 大森駅構内列車脱線事故碑 ※正式名称未確認 |
所在地 | 東京都大田区大森北一丁目 6-16 (JR 東日本大森駅構内) |
設置年月日 | 未確認 |
建立者 | 未確認 |
写真については冒頭で紹介した小ネタと同じものであることをご容赦願いたい。
同碑は現存する鉄道慰霊碑として個人的に珍しい部類と考えているが、木製である。所有する『鉄道碑めぐり』によればかつては木板というか板塔婆等による簡易な慰霊碑等も全国にいくつか存在したようであるが、往々にして朽ち果て消滅したものも多いようである。
ここ大森駅のものは建立時期が不明であるため明治時代の鉄道事故の慰霊碑とは言え、まさか当時のものではないと思われるが、いずれにせよ木製というのは珍しい。
ただ、周囲はわざわざ金属の柵で囲ってあり基礎のコンクリートも真新しい。継続的に手入れがされているようである。
残念ながら京浜東北線ホームから見える範囲では碑文の類は確認することができなかった。
同碑は何故か線路内という特殊な場所にあるのが最大の特徴であろう。そのためなのか当初の建立時の形態を維持し続けたことによるものか、木製という点においても特異な部類と言える。
個人的には死亡した乗客の遺族さえも参拝できない場所にあるというのは少々いかがなものかという気がしている。できれば参拝可能な場所へ移動し案内板等を設けて頂きたいとも思う。
何にせよ接近出来ない碑であるため、詳細な情報が得られにくい碑でもある。今後同駅駅員などへの聞き取りも機会があれば行いたいが、何か情報をお持ちの方はコメント等頂けると幸いである。