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京浜急行電鉄株式会社発祥之地碑

関東の電気鉄道の嚆矢。

2007/01/07 公開。

概要

さりげなく私も沿線住民だったりする京浜急行電鉄は 2009 年現在創立 121 周年を向かえる関東私鉄の雄である。もう少し細かく言うと市街電気鉄道として我が国で三番目の開業であり、関東では初であった。ちなみに同社より先に開業したのは京都電気鉄道と名古屋電気鉄道であるが、両者とも後に市に買収され、さらに最終的には廃止の憂き目にあり現存しない。即ち京浜急行電鉄は現存する最古の電気鉄道なのである。

詳細を述べるとキリがないが、同社はかなり特色ある鉄道事業者としも有名である。何といっても主力路線である本線のうち都心部については現 JR 東日本の幹線中の幹線である東海道本線と並行して走っており真っ向から勝負している。個人的にはお役所はよく認可したなとも思うが未だ『列車』主体であった旧国鉄(当時は鉄道省)に対し電車による頻繁運転によるインターアーバンを目指し、ある意味国を相手にそれを実現させたのは驚嘆に値する。

また、他の普通鉄道事業者とは一線を画す運転形態も特筆されよう。上り線での下り線電車の退避(六郷川橋梁上)や乗客を乗せたままホーム手前で退避し、後から来た電車の後ろへの併結、さらに現在では無くなったが以前はニ列車の縦列退避など、路面電車真っ青のきめ細かな車両回しで乗客をさばくのである。そもそもその車両についても独自の哲学を有し、先頭車は安全面から必ず重量のある電動車としたり、その他にも前照灯も今となっては珍しい中央一つ目の車両や、扉では両扉だけではなく片扉車も現役である。

またこれは余談だが、近年沿線住民となって初めて気づいたことであるが車掌のアナウンスにも独自の哲学が存在している。

このように特色ある大手私鉄は全国見渡してもそうそうないと思われるが、開業時は延長わずか 2km の路面電車であった。もちろん川崎大師への参詣路線である。専用軌道化に伴ない大部分の路線が開業時とは異なるものの、現在同社の大師線として創業路線としての歴史を今なお刻んでいる。そしてその中心的存在であった川崎大師駅は開業当時の位置のまま現存する同社最古の駅である。

今回取り上げる同社の発祥之地碑はその川崎大師駅にあり、まことに相応しい場所にあると言えよう。

調査日:2006/06/03、2008/04/12

諸元

項目 内容
正式名称 京浜急行電鉄株式会社発祥之地碑
所在地 神奈川県川崎市川崎区大師駅前 1 丁目(京浜急行電鉄川崎大師駅前)
設置年月日 1968 (昭和 43) 年 12 月 21 日
建立者 京浜急行株式会社

調査結果

全景

同碑は川崎大師駅正面の西側のちょっとした広場に設置されている。周囲は柵で囲まれており、一見施錠もされているが手で開けられるので恐らく見学は問題ないと思われる。また、さすが駅前ということもあってか下草も刈られ状態も良い。

京浜急行電鉄株式会社発祥之地碑全景

碑は車輪を型どったものとなっており、土台に碑文が記されている。

京浜急行電鉄株式会社発祥之地碑全景

詳細

土台正面の碑文には本碑建立の経緯と創業当時の営業報告書の記述の一部抜粋が紹介されており、当時の様子を伺うことができる。

京浜急行電鉄株式会社発祥之地碑碑文

写真では字が小さく判読が困難であるため、参考として以下に碑文を全文掲載する。ちなみにカナ書き文体は入力も困難を伴い、おまけに日本語入力プログラムに変な辞書学習をさせてしまう。

京浜急行電鉄株式会社は、明治 31 年 2 月 25 日大師電気鐡道株式會社として設立され、翌明治 32 年 1 月 20 日、川崎六郷橋~川崎大師間の営業を開始した。 開業時の資本金は九万八千円、営業路線は単線二粁、車両数は五両で開業当時の営業報告書には、次の通りに記されている。

全般ノ機会運轉上成績好結果ニシテ一日モ運轉ヲ中止セシ事ナク即チ五月丗一日ニ至ル本期間ノ営業日数ハ一百三十一日ナリシ而シテ乗客ハ相應ニ多ク毎月廿一日ノ如キハ非常ノ雑踏ヲ極メシモ線路ノ単線ナリシト車両ノ不足ナリシ為メ充分ニ乗客ヲ運ビ能ハサリシノ感アリ本期間平均一日一哩ノ乗車賃ハ五拾円九拾銭二厘ニ相当セリ、元来本社ハ関東ニ於ケル電氣鐡道ノ嚆矢ニシテ成績ノ如何ハ将来電氣鐡道事業ノ発達ニ重大ナル関係ヲ有セシモノナリ
幸ニシテ今ヤ営業初期ニ於テ相應ナル純益配当ノ報告ヲナスヲ得又運轉開始以来一人ノ負傷者ヲ生ズルナク毎月毎月廿一日ノ如キ数萬ノ老幼群集シ往来織ルガ如キ場所ニ於テ乗客ヲ満載シ乍ラ一日貳百五六十回余ノ運轉ヲナシテ過チナカリシハ實ニ本社ノ幸福ニシテ亦以テ電氣鐡道ノ市街交通機関ニ適シ更ニ危害ノ虞レナキヲ表示スルヲ得タルモノナリ

かくて好調裡に営業を開始した大師電鐵は同年四月京濱電氣鐡道と改称昭和二十三年六月京浜急行電鉄となり逐次事業の拡張を図って今日の隆昌をみるに至った。

ここに創立七十周年に当り

会社設立発起人代表立川勇次郎はじめ先人の遺徳を偲び大師電鐵発祥のこの地に本記念碑を建立する。

昭和四十三年十二月二十一日

京浜急行電鉄株式会社

総評

個人的には雑踏の中での路面電車による運転でありながら負傷者を出していないことを『本社の幸福』と表現している箇所に胸を打たれる。利用者からすればともすれば当然じゃないかと思うかも知れないが、事業者にとっては『無事故』とは非常に実現するのが大変なものである。残念ながら同社に於いてもその後鉄道事故は発生するのであるが、碑文のその言葉は同社には今も息づいているであろう。

当初川崎大師への参詣鉄道として開業した上で、当時関東では誰も知らない電車と言う乗り物が安全で便利である交通機関であることをアピールして、早くもその年に京浜の名を冠し都市間鉄道いわゆるインターアーバンを目指すというしたたさかと熱意に驚かされる。そしてそれは今から 120 年以上も前の話なのである。

現在大師線は地下化工事が進められており、これにより川崎~川崎大師間は現在と異なるルートとなるが、面白いことにその新しいルートこそ開業時のルートに一部近づくようである。また川崎大師駅以遠は現ルートの地下に新線が建設されるようである。幸い同駅は地下化されるもののその歴史ある場所から移動することはないので本碑も多少の移設はあり得るだろうが、今後も同駅に存在し続けるだろう。

参考文献等


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