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京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】

京急の発祥路線は国鉄により路線の一部を分断され結局廃止区間を生むこととなった。

2007/01/07 公開。

概要

関東私鉄大手の一翼を担う京浜急行電鉄の発祥路線である。交通安全で有名な川崎大師への参詣路線として、後に京浜急行電鉄の母体となる大師電気鉄道の手により明治 32(1899)年 1 月 21 日に六郷橋~大師までの 2km が単線で開業した。

また、六郷河畔(現在の多摩川)久根崎に建設された発電所により自社給電であった。わずか 2km となったのは起点となる川崎駅は人力車夫の猛反対や人家密集地域であったため、当初は途中の六郷橋からの開業となったためである。

開業当時のスペックは車両数 5 両、最高時速 13 キロ、従業員数 17 人、営業時間は午前 7 時から午後 8 時までという極めて小規模なものだったが、開業年中 8 月 29 日には複線化工事に着手し同年 11 月 29 日には複線での運転を開始している。

また、わずか三年後の明治 35 年には念願の川崎駅への乗り入れも果たし 10 月 17 日川崎大師平間寺境内にて開業式を挙行している。さぞかし賑わったのではないだろうか。

そして時は流れ、いわゆる大東急時代に川崎大師より産業道路まで延伸されさらに京急に分離後も延伸は続けられ桜本までの全線を昭和 20 年(1945 年)に開通させ、埋め立ての進む京浜工業地帯の足となった。一時は周辺の工場への引き込み線もあり、大師線を利用した国鉄としての貨物輸送だったため標準軌と狭軌のいわゆる三線区間もあった。

その後、川崎市電との川崎駅を含む環状線争奪戦を経て現川崎貨物駅の建設に伴い小島新田以南が分断され遂にはそのまま廃止となり小島新田駅の移転とともに現在の路線が確定した。

実質的な廃止から 40 年以上が経過した歴史の跡を追った。

調査日:2006/06/03

沿革

年月日 事象
1899/01/21 大師電気鉄道が六郷橋駅~大師駅(現・川崎大師駅)間(2.0km)開業。
1902/09/01 川崎駅(現・京急川崎駅)~六郷橋駅間開業。
1944/06/01 東京急行電鉄の手により川崎大師駅~産業道路駅間開通。
1944/10/01 産業道路駅~入江崎駅間開通。
1945/01/07 入江崎駅~桜本駅間開通。大師線全通。
1952/01/01 塩浜駅~桜本駅間を川崎市交通局へ譲渡し、川崎市電路線の一部となる。
1964/03/25 小島新田駅~塩浜駅間が塩浜操駅(現・川崎貨物駅)建設のため休止。小島新田駅は京浜川崎駅寄りに 300m 移転。
1970/11/20 小島新田駅~塩浜駅間を正式に廃止。現在の路線が確定。

地図

調査対象区間の道路地図である。今回の調査は図中の『廃止区間』を対象とした。

実は図中『営業区間』の撮影も同日実施したが、これは将来計画されている大師線地下化に備えての現状記録としてである。またの機会に別途報告書として取り上げたい。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】調査対象区間道路地図

この地域の最も古い 1/25,000 の旧版地形図によると『~新田』の地名が散見され既に埋め立てによる農地開拓が進んでいたことがことが分かる。将来京浜工業地帯と変化していくのが想像し難い。ましてや川崎市街以東は鉄道とは無縁の風景である。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】調査対象区間旧版地形図

出展:国土地理院 1/25,000 地形図「川崎」(T14/02/28 発行)※管理人一部加工

時は流れ、昭和 22 年大師線全線開通の数年前である。この時点では入江崎付近まで延長されているようである。下の地形図では途中の駅は省略しているが現産業道路駅付近から南に分岐する線路も確認できる。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】調査対象区間旧版地形図

出展:国土地理院 1/25,000 地形図「川崎」(S22/07/30 発行)※管理人一部加工

調査結果

小島新田~塩浜

調査対象区間の道路地図である。今回の調査は図中の「大師線廃線跡」を対象とした。

実は、下図中「大師線廃線跡」と書かれた場所辺りにも廃線跡があった。事前の準備不足により現地調査は実施していない。また、右側の引き込み線とおぼしき廃線跡は情報収集ができていないため、今後の課題としたい。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】調査対象区間旧版地形図

Google Earth で同じ地点を見る。上で触れた、見逃し連絡線(小島新田~川崎貨物駅)ハケーン!!

あなたには見つけられるだろうか。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】小島新田~塩浜 Google Earth

古い航空写真より。これによると現川崎貨物駅の場所の埋め立てが完了していないように思われる。右側の工場への引き込み線も健在のようである。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】小島新田~塩浜航空写真

出展:国土地理院航空写真(地区:川崎、コース:M736、番号:70、撮影機関:米軍、撮影日:1948/01/18、形式:白黒)※管理人一部加工

川崎貨物駅からの廃線跡を望む。金網はご愛嬌。中央の駐車場の曲線が往時のカーブを彷彿とさせる、と言うかそのまんまである。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】小島新田先の廃線跡を人道橋より望む

上の写真の駐車場よりも奥の建物からのアングル。路盤跡である右側の建物の列の先に駐車場がある。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】小島新田方面を望む

中央の大きな建物が旧小島新田駅跡付近と思われるが、事前調査の詰めが甘かったため現地での確認は実施しなかった。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】旧小島新田駅付近

旧小島新田駅跡より南側直線部分と思しき地点。左側鉄骨クレーン棟の並び。この付近は鉄道の痕跡の発見は難しいと思われる。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】旧小島新田駅以南

上の道路地図の廃線跡の最南端部に建つ鉄塔の基礎部分に京急の境界標『KHK』ハケーン。ここに来てようやく鉄分が発見される。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】京急境界標

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】京急境界標

上の写真の地点より旧小島新田方面を望む。と、左側のクズ鉄と思しき塊の一番下に高濃度の鉄分を発見 ?!。果たして ?

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】レール発見

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】レール発見

下の道路地図にて、JR貨物川崎貨物駅南端と東側を走る道路との交点付近にて旧小島新田方面を望むと廃線跡と思われる緑地帯が確認できる。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】廃線跡と思われる緑地帯

関係ないが、下の道路地図に示した神奈川臨海鉄道貨物線と大師線廃線跡との交差部分付近より JR 貨物川崎貨物駅方面を望む。こちらは現役線。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】神奈川臨海鉄道貨物線

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】神奈川臨海鉄道貨物線

塩浜~入江崎

塩浜付近道路地図である。この辺りは廃線跡のトレースはほぼ不可能と思われる。一見並行する道路が怪しいが前後のルートから微妙に内陸側にずれた位置だったと考えられる。

識者のご意見お待ちしています。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】塩浜~入江崎道路地図

塩浜付近の古い航空写真より。海と田んぼと工場。かつて埋立地に『新田』との地名があてがわれたのがうなずける驚きの光景である。ここに鉄道が走っており駅も存在していたのである。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】塩浜~入江崎航空写真

出展:国土地理院航空写真(地区:川崎、コース:M736、番号:70、撮影機関:米軍、撮影日:1948/01/18、形式:白黒)※管理人一部加工

塩浜駅跡付近より旧小島新田方面を望む。画面中央の緑地が廃線跡と思われる。塩浜駅跡付近には『塩浜』バス停がある。写真の左側の建物の一階の駐車場のような場所辺りが塩浜駅跡と思われる。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】旧塩浜付近

入江崎~桜本

道路地図によると、川崎ゴルフセンターの脇の小道が廃線跡と考えられる。そのまま入江崎駅を過ぎ浄水場最南端の緩やかなカーブを経て桜本駅へ向かっていた。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】入江崎~桜本道路地図

古い航空写真ではここも驚きの光景である。まさに全て海の上だったと言えよう。

川崎ゴルフセンターもいい感じの水たまりの跡地であり、浄水場付近は旧版地形図では『魚介養殖場』となっている。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】入江崎~桜本航空写真

出展:国土地理院航空写真(地区:川崎、コース:M736、番号:70、撮影機関:米軍、撮影日:1948/01/18、形式:白黒)※管理人一部加工

Google Earth では廃線跡が小道となって読み取れる。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】入江崎~桜本 Google Earth

川崎ゴルフセンター脇の小道である。実際の廃線跡は左側の駐車場部分かも知れない。付近にそれと思わせる構造物等の痕跡が見当たらないため若干自信なし。

この駐車場部分が廃線跡であることが判明。※情報提供ありがとうございました。> K 様

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】川崎ゴルフセンター付近

入江崎駅跡と思しき地点より南側の右カーブを望む。実は大師線全通後の地形図を入手していないため、旧入江崎駅の位置の特定は航空写真に頼らざるを得ない状況であり、我ながら若干信憑性が低い。しかし、画面左側の空地付近が駅跡と思われる。

画面よりさらに左側に京急の境界標を発見したため、写っているブルドーザーより左側が廃線跡のようである。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】旧入江崎付近

振り返って塩浜方面を望む。小道ではなく空地部分が廃線跡と思われる。さらにこの辺りが旧入江崎駅跡と思われるが痕跡はない。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】旧入江崎付近

旧入江崎駅以南の右カーブを望む。廃線跡は小道の左側の倉庫の部分である。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】旧入江崎以南の右カーブ

神奈川臨海鉄道水江線(貨物線)との交点付近から旧入江崎方面を望む。全くの推測だが貨物線は大師線の廃止区間の廃止後敷設されたものと思われる。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】神奈川臨海鉄道水江線付近

旧入江崎駅を過ぎ一路産業道路にあった終点旧桜本駅を目指す途中に東海道貨物線との交差部がある。写真は旧入江崎駅方面を望む。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】東海道貨物線との交差部

別アングルからみる。東海道貨物線の真下はこの通り歩道であり踏切跡と思われる。画面右が旧桜本駅方面である。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】東海道貨物線との交差部

東海道貨物線との交差部を過ぎると、廃線跡の緑地帯に整備された新しい歩道が現れる。かつての直線の中を蛇行している。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】廃線跡の新しい歩道

この新しい歩道が途切れる箇所が産業道路に左カーブを描き合流していた廃線跡そのものである。分かりづらいがアスファルト部分も廃線跡部分の色が異なっている。写真は産業道路側から旧入江崎方面を望む。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】産業道路との合流カーブ跡

産業道路との合流付近は現在池田新田公園となっておりかつての痕跡はないが、唯一公園脇にあるガソリンスタンドの敷地形状がかつての鉄道のカーブそのものである。写真は終点旧桜本方面から旧入江崎方面を望む。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】産業道路との合流カーブ跡

そのさき終点旧桜本駅までは廃線跡は恐らく現在歩道脇の緑地帯となっている部分であり微妙な盛土具合からかつての景色を想像するしかない。写真に写っているバス停はその名も『桜本』であり、この付近がかつての終点と思われる。今はここが鉄道の終点であったとは想像しがたい景色である。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】終点旧桜本駅付近

『桜本』バス停である。写真は線路終端方面を望む。

京浜急行電鉄大師線廃止区間【小島新田~桜本】桜本バス停

総評

埋立地というただでさえ開発し易い地勢にあって、しかも廃止後40年が経過しているにもかかわらず比較的痕跡を留めている部類ではないだろうか。

ただし、現小島新田駅の先は廃止の直接の原因となったJRの貨物駅によって豪快に分断され終点桜本付近に至っては駅の痕跡は皆無である。

言うなればいじられなければ大丈夫だがひとたびいじられると平らな埋立地だけあって何もかもなくなってしまう。

工業地帯は一見鉄道にとってみれば大量の貨物や大勢の従業員を一手に引き受けることが可能な重要なインフラのような気がするが、現代においては立地や規模にもよると思われるがそうでもないのかも知れない。

物流の主役がトラックに取って代わり、また従業員輸送に関しても大体は主要なターミナル駅からの送迎バスがある。もはや多大な経費の必要な鉄道はこの地では主役ではないのだろう。

だからと言うわけではないが、現在の終点小島新田はなんと単線ホームである。やはり川崎大師への参詣路線としての位置づけが今となっては重要視されているのかも知れない。

現在、大師線の起点川崎から終点小島新田付近まで地下化が検討されており(というか決定?)地上を走るのもそう遠くない将来に見納めとなる。この計画に関しては詳細を把握していないが他鉄道との乗り入れを意識していたもののなかなかうまくいかないらしく京急側は地下化に難色を示している等今後不透明な部分もある。

ところで、川崎周辺の埋立地の工業地帯に関しては京急が鉄道のみならず新たに運河を開削し工業地帯化を目指したこともある。もっともこれは川崎市の計画であったが。

ちなみにこの運河はその名も『川崎運河』と呼ばれ、運河沿いに鉄道も新設し水運と陸運を兼ね備えた工業地帯を興そうとしていたのである。結局この計画は関東大震災や企業の誘致が思うように進まず運河は埋め立てられ宅地化され失敗に終わっている。

その名残は京急八丁畷駅の南に突然現れる碁盤の目のような町並みの部分である。これについても別途報告書にて取り上げたい。

なお、同線現役区間【京急川崎~小島新田】の前面展望動画を撮影したのでご覧頂きたい。

参考文献等

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