当サイトの開設にまつわる話題です。随時思い出したときに書き漏れた点を補足しようと思います。
ズバリ、『山さ行がねが』です。
子供の頃より近所のいろいろな場所を探検していました。まぁ、男の子だとありがちな話です。自分の実家の近所は適度に裏山のような場所や池とか探検には事欠きませんでした。空き地もいっぱいあり秘密基地の建設にも余念がありませんでした。
いつの頃からか汽車(と地元では呼んでいましたが正確には気動車)がちょっと好きになりました。元々あまり凝り性ではないため、何となく好きな程度でした。
当時はもちろんお金がないため、インスタントカメラでなんちゃって程度に汽車の写真を撮っていた程度でした。また鉄道以外にもそもそもあちこちを見て、『これは何だ』とか『この砂利道とか穴はどこにつながってんだ』等とよく言えば探究心旺盛でした。
いつしか大人になり建築の設計や土木の現場をかじったりしていわゆる構造物が改めて好きになりました。
インターネットなるものが登場し、個人がサイトを持ち情報を発信できるようになりいろいろなサイトを見ていました。そんなある日見かけたのが『山さ行がねが』でした。
近頃の若いもんは覇気がないわい、などと思っていたのですがなかなかどうしてアツいサイトでした。水曜スペシャルの川口浩探検隊を一人でやっているようなものでした。そしてリンク先等もいろいろ見てみると自分が子供の頃持っていたなんちゃって大冒険を地でやっている人をたくさん見ました。
いつのまにか IT 業界にてオープン系のエンジニアになっていた私は冒険心が復活したと同時に自分もサイトを立ち上げて自分と同じような迷える子羊に光明を射すことができれば何と楽しいだろうと思い、まずチャリを買って自分の興味のある対象をあちこちと探索を始め記録をとるようにしました。
廃線跡、鉄道構造物、道路構造物、街中の変なもの、昔何かがあったっぽい場所。元々いろいろ観察するほうでしたが、今まで日常生活で気にも留めていなかったものまで一気に調査対象物として面白く見えてきました。
ただし、実はそのような好奇心が芽生えたのは何かの雑誌に載っていた車の宣伝ページに写っていた、碓氷第三橋梁でした。この鬼のような煉瓦アーチ橋が日本にあるなんて、というのが最初の感想でした。その時は何も情報を持っていませんでしたが、運よくそこにはちゃんと撮影地も示されていたため、 何者かを知ることができました。
構造物(特に古いもの)好きにとってこれは衝撃でした。そしてたまたま観光旅行を兼ねて碓氷峠を訪ねることができたのが現地調査の嚆矢でした。
サイト立ち上げに当たっては全然数は少ないのですが、まずは立ち上げてみようということで若干の報告書を書き上げた時点で今ご覧のへなちょこサイトを立ち上げました。今ここをご覧の皆様の中にも私以上の豊富な知識をお持ちの方もいらっしゃれば、知らなかったけど面白そうという方もいらっしゃると思います。
前者の方には指摘や指南を頂ければ、後者の方には探究心に火がつけば私としては無上の喜びです。
サイトを立ち上げたはいいが、エンジニアとしてシステム的なことは理解がありますがいざコンテンツとなると四苦八苦です。報告書の中で使う地図への落書きもツールをさがすのに苦労しましたし、そもそもサイトのデザインも凝ったことはできません。文字の大きさひとつとっても答えは未だに見つかっていません。
色覚に障害がある方にも見れるようになっているのだろうか、などアクセシビリティ等も不備な点だらけです。ですが、試行錯誤しながら少しずつ改善していこうと思っています。
私は大の大人が『アホなことに夢中になる』ことが素晴らしいと思っています。今後も街中で山中で絶叫しながら調査をし、モニターの前でウンウン唸りながら報告書作成を続けていきたいと思います。
結婚式の友人のスピーチみたいになってしまいましたが、今後とも当サイトをよろしくお願いします。